編集部を訪れたマゾ女性【苦痛を求めた女教師】 ※DVD収録
告白 大塚美咲(仮名)
暗がりの中で
良くも悪くも自分は大切に育ててもらったんだなあ、と気がついたのは教師になって間もなくでした。
最近は「親ガチャ」などという言葉も耳にしますが、子供の幸せが経済力や家柄などの条件で決まるとは限らない気がします。何不自由なく育てられていても孤独を抱えている子もいますし、不幸な出来事があっても家族に支えられて笑顔で登校してくる子もいます。
いずれも教師にならなかったら気づかなかったことかも知れません。
両親も祖父母も教育熱心で躾けも厳しい人でしたが、頭ごなしに怒られたことはありませんでした。幼稚園のお友達と喧嘩をしても、どっちが悪いと言う前に、
「どうしてそうなっちゃったのかな……」
と、静かに話を聞いてくれる人たちでした。最初はお友達が悪いと思って興奮していた私も、「それからどうしたの」「どう思ったの」と聞かれて話しているうちに、相手だけが悪いなんてことはないと気がつくこともありました。
裕福な家ではありませんでしたが、そういう意味で日々ていねいに育ててくれたと思います。でも、お友達の家はさまざまでした。
幼稚園でよく遊んでいた美沙ちゃんは、いたずらをするとお母さんに叱られて、お仕置きとして押入れに入れられると言っていました。罰やお仕置きを受けた経験のない私は、意味がわかりませんでした。
私も家の押入れにそっと入ってみました。客用布団の間に入って中から襖を閉めると、真っ暗で無音でドキドキしました。お母さんが台所仕事をする音も、窓の外の子供の声も聞こえません。
反省するまで出てはいけない、と言われることを想像すると、ますますドキドキしました。
美沙ちゃんは「暗くて怖い」と言っていたのに、私は違いました。甘い胸騒ぎのような不思議な感じがこみ上げてきたのです。
ああ、この感じは……と、子供心に思い当たることがありました。
父と祖父が好きな時代劇の、町娘がさらわれて、縛られて、猿棒で叩かれるのを見ている時の感じ……。マンガの中で、はりつけにされたり檻に入れられたリした人を見た時の感じ……。
私はいつも、そういう場面で変な気分になっていたのです。どうして父や祖父は平気な顔をしてテレビを見ていられるのだろうと思いました。黙って画面を見つめながら、胸の奥がドクドクと疼くような不安と期待でいっぱいでした。
その感覚が忘れられなくて、私はたびたびこっそり押入れに入るようになったのです。
そこは檻で、勝手に出ることができないのだと想像して、一人でジッとしていました。
今回の懺悔調教ではりつけにしていただき、身動きを封じられて思い出したのは、押入れの暗がりにこもっていた甘くて息苦しい時間でした。
明るくて、穏やかで教育熱心な家庭。その正しさの反動のように、幼い頃の私は影のあるものに惹かれていたのかも知れません。
異質な愛情表現
小学校に上がってからは押入れにこもった記憶がありません。学校での日常が忙しく、そして楽しかったからです。
それまで、よその子は真っ黒になって遊んでいるのに、私はお習字の先生をしていた祖母の部屋で書き取りのお稽古をさせられたり、母の隣りでお料理の手伝いをしてばかり。正直、少し不満だったのです。
でも、学校に入るとそんな躾けや教育のおかげで先生にほめられ、友だちにも尊敬されることが続きました。幼稚園時代はおとなしい子だったのに、前向きな積極的な子に変わっていったのです。中学卒業まで学級委員か生徒会役員のどちらかをやらない年はありませんでした。
少女時代にすっかり忘れていた妖しい世界を再び思い出したのは、高校に入ってからでした。中学までは公立でしたが高校は女子大まで一貫の私立に入ったので、受験勉強がなくなった分、読書に夢中になりました。
文学全集から流行のBL漫画まで読みふけるうちに、性的だったり残酷だったりする世界がまた見えてきたのです。
特に「緊縛」。人を縛るのは時代劇の誘拐や刑罰だけじゃないんだ、そうだったのか、と驚きました。幼い自分が胸を高鳴らせたのは、緊縛がただの暴力ではないからなんだとも思いました。
子供の頃は、監禁された自分を想像することに罪悪感をおぼえていたのです。でも、高校生になった私は、人に知られたら恥ずかしい妄想だけれど、後ろめたいことではないのではないか、と思うようになりました。
暴力ではなくて、少し変わった愛の形、異質な愛情表現なのかも知れない……。
この続きは、マニア倶楽部2022年5月号をご覧ください。