改造肉玩具奴隷から届いた第二信
告白 君枝(仮名)
私は愚図でのろまな、どうしようもない最低の女です。そんな私を救ってくれたのが、最愛のご主人様でした。
ある時期を境に、私は無感情な人間となりました。いえ、人間と呼べるかどうかすら定かではありませんでした。「動く人形」といってまったく差し支えのない状態でした。
幼いころの私は、経営者である父親と、教育熱心な母のもと、 絵に描いたような何不自由のない生活を送っていました。
幼稚園を出て入学した小学校は、小中高一貫の女子校でした。この女子校生活が私の人生を狂わせる転機となったのです。
当時の私は一四二センチ、四三キロと、とても太っていました。そのことでイジメの標的になってしまったのです。
クラスのリーダー格のA子が中心となって私のイジメが始まりました。最初は、使っていたノートや靴箱の靴が隠されたり、 という軽いものでしたが、鈍感な私は全くイジメだと気付いていませんでした。
そんな私にイラついたのか、 だんだんイジメはエスカレートしていきました。給食の時間に食器を乗せたお盆を抱えて歩いていると、 後ろから突き飛ばされる。体育の授業から戻ると、制服のスカートがびりびりに破れていた、 などです。
さすがにその頃にはイジメだと気付き「なぜこんないやなことするの?」と泣きながらA子に訊ねたことがありました。
するとA子は口元を醜く歪ませながら「あなたが豚だからだよ!」 と笑いながら言いました。
取り巻きの女子たちも「そうよ、そうよ!」 とケタケタ笑っていました。
この光景と、 女子たちの残虐な表情は今でも瞼の裏に焼き付いて夢に見ることがあります。
私はショックを受け、返す言葉もなく、 やはり泣きながらじっと我慢することしかできませんでした。
その日を境に、食べ物をうまく食べることができなくなりました。飲み物も、あまり喉を通らなくなりました。
食欲がわかないわけではないのですが、 何かを食べようとするときまって「豚!」 というA子のイメージが蘇るのです。
食べると豚になる、もっと苛められる。その言葉が、 イメージが恐怖となって私に襲いかかるのです。私は世間でいう拒食症になっていました。
精神的に不安定な状況が続き、不眠も続きました。
三か月もすると、目の下にはどす黒いクマができ、 栄養失調で常に顔色は悪く、腕や足は不健康にやせ細っていき、
太っていたころよりもいっそう不気味な姿になっていました。
中学にあがることには、イジメは更に陰湿に、 性的なものになっていきました。
ある日の放課後、A子グループに女子トイレに呼び出され、 四人の前で「裸になりなさい!」「がに股よ! がに股! ほら!」「中指で豚マ○コこすりなさいよ!」と全裸オナニーを強要されたこともありました。
それまでオナニーなどしたこともなかった私は、やり方もわからずとにかく指示通りに指を動かしました。その残虐ショーは、 乾いたクリトリスが炎症を起こすまで続けられました。初めてのオナニーは、とても屈辱的なものでした。
その日の帰り道は、 歩くたび股間が擦れるのがあまりにも痛くて泣きながら家に帰りました。
あるときはお尻の穴にペンを挿入され、 両腕は頭の後ろで組まされ、がに股の格好で、白い紙に「ヘンタイです」と文字を書かされたこともありました。
その時の様子はポラロイドカメラで撮影され「これが学校中にばらまかれたくなかったら黙ってること」 と言われました。
(こんな写真がばらまかれるくらいなら、死んだほうがマシだ) と思った私は、ただ黙って頷きました。「人間の悪意には底がない」というのをそのとき実感しました。
そのころの私は、どうやったら苦しまずに死ねるか、 ずっと考えていました。この地獄のような現実に比べたら死後の世界のほうが、どれだけ楽だろうか。明日も明後日もイジメはなくならない。イジメが終わる方法は「私が終わる」しかない。
そんなことを本気で考えていました。でも私は死ななかった。
脳は不思議なもので、 ある一定以上のストレスが溜まると機能停止になるそうです。私の脳も、あることがきっかけでそうなりました。
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