憧れの先生の性奴隷になった美人女子大生の告白
告白 愛花(仮名)
愛花と言います。近畿地方の国立大学に通う一年生です。
家は中部地方なので、親類が経営するアパートに下宿しています。母とこんなに長く離れて生活したのは、生まれて初めてです。
母はシングルマザーで、たまの旅行も親娘二人で行っていました。私だけ友達の家に泊まったことも一度もありません。
「外泊なんかしたら、母子家庭の娘だからだらしがないと人は思うんだから」
と母に禁止されていたのですが、女の友達同士の旅行もだめというのは行き過ぎだと思います。もちろん母とは大変仲が良いし、大好きなんですが。
そんな母に宛てて書いた一通の手紙があります。卒業式の翌週に書いたものです。
卒業の手紙
「お母さん、私はついに悪い娘になりました。お母さんが恐れていた、恥ずべき、悪い娘です。
卒業式の次の日曜日、ずっと待ち望んでいたことが実現しました。この日は一生忘れない、生まれてから今日までで、いちばん大切な日です。
お母さん、覚えていますか。
高一の時、同じクラスの飯田君から「付き合ってほしい」と言われた時のことです。
「男の子は付き合ったら絶対に体を求めてくる。愛花が誰よりも大切だと思う人に出会えるまで、そういうことをしてはだめだよ」
と、お母さんに止められましたよね。私、本当はあの時、飯田君と交際してみたかったんです。
飯田君を、好きだとかそういう目で見たことはありませんでした。でも、男の子と付き合うってどんな感じだろう、知りたい、という軽い気持ちはありました。
誰よりも大切だと思う人なんて、そんな人に出会えるわけないのです。私にとって一番大切な男の人はお父さんだし、お父さんはもう死んでしまいました。
死んでしまった人を誰かが超えることはあり得ないですよね。だから、私は男の人と愛し合うことはないな、一生処女のままなんだな、とあきらめました。
悲しく絶望的になり、自分の人生にこの先、楽しいことうれしいことが起きるなんて思えなくなりました。高一の最後の三者面談で「大学は受験しない」と言ったのは、そのせいです。
そんな私が変わったのは、先生と話をするようになってからです。
先生は、何でも話せて、私を見守ってくれて、厳しく叱ってくれることもあります。お父さんを超える人は先生かも知れないと気がついた時、悲しい気持ちを忘れて、前向きになれました。
希望ができると、私みたいな内気な人間も変われるんですね。先生に会えるのが楽しみで学校に行くのが楽しくなり、先生に質問したいから化学の予習をするようになりました。
予習が習慣になると、化学以外の科目の成績も少しずつ上がってきました。お母さんは知らないけれど、全て先生のおかげ、先生を好きになったおかげだったんです。
先生と愛し合いたいなんて身の程知らずなことは思わないけれど、先生に「好きです」と伝えて受け入れてもらいたい――。そう思うだけでいろんな意欲が湧いてきて、先生に認められたい一心で大学受験を決めました。
あの日曜日、卒業記念にみんなで遊園地に行くと言ったのは嘘です。あの日、生まれて初めてラブホテルに行って、先生と結ばれました。生まれてから一番幸せな一日でした。
お母さん、私はついに悪い娘になりました。お母さんが恐れていた、恥ずべき、悪い娘です。
先生を好きになってから、二年以上も経っているのです。卒業までずっと我慢してきました。
「高校生の間はだめだ。きちんと勉強して、志望校に合格しなければだめだ」
と、先生から厳しく言い渡されて、受験を頑張ったのです。努力のご褒美として、あの日、先生の奴隷にしてもらいました。
私はもう正しい娘ではありません。正しい娘は卒業しました。
今の私は、先生の奴隷です。
* * * *
手紙を母に渡してはいません。
四年間は下宿生活で、自由に先生に会えない日が続きます。アパートの一階には母の従兄一家が暮らしているので、先生と自由に会えるわけではありません。
大学卒業まで、先生との交際がバレないように注意しなければならないのです。
先生に会えるのは月に一度か二度、外泊したら母に連絡されてしまうので、いつも日帰りです。二時間か三時間しか会えないこともあります。
下宿に帰って一人、淋しい夜は、先生に私の稚拙な愛を受け入れてもらえた日の喜びを思い出したくなり、この手紙を取り出して読んで、会えないけれども先生の所有物になれた今の幸せを噛み締めています。
この続きは、マニア倶楽部2023年11月号をご覧ください。