兄の奴隷となった女子大生の告白
告白 映見(仮名)
〈兄の告白〉
これは血の繋がりは無いものの、最愛の妹と禁断の交わりを持ってしまった私の懺悔と後悔と、そして幸せが入り交じった魂の告白です。
今から20年前、僕が18歳のとき父が再婚しました。中学生の頃に母が他界してから父と僕二人の男所帯だった家に、新しい母がやってきました。若く美しい継母でした。父の会社で働いていたOLとのことでした。
当時の僕は勉強しか取り柄のない、いわゆる非モテ男子であり、恋人どころか異性の友人さえいませんでした。
若く魅力的な継母との同居生活に胸の鼓動が乱れたのは当然で、亡き母への裏切りともいえる父の再婚に対する青臭い反発心さえ抱けませんでした。
継母も父と同じく再婚で、当時2歳の連れ子がいました。まだオムツをしていた2歳児ながら、継母の美貌を受け継いだ可愛らしい幼女でした。彼女は僕を気に入ってくれたらしく、幼さ故の無神経さというか、人見知りをすることなく、すぐに僕に甘えるようになりました。
彼女のほうから「お兄ちゃん」と甘い声で遊び相手に認定したという感じです。
継母へのときめきは父の再婚相手という現実が薄めていき、代わって慕ってくれる義妹の可愛らしさに心が蕩かされました。
一人っ子だった僕に初めて兄妹が出来たわけで、それも16も歳の離れた可愛らしい幼女。言葉を話すペットといったら不謹慎かもしれませんが、自分から他人にアクションを起こすことが苦手なお勉強オタクだった当時の僕には、ダッコを求めてしがみついてくる義妹が、愛おしくてたまりませんでした。
人付き合いが苦手で、他者と親密な関係を結んだ経験もなかった僕にとって、この義妹となった2歳の女児が初めて出来た親友のようでもありました。
成長していくにつれ、継母譲りの美貌も輝きを放ち始めます。幼稚園、小学校と学齢が上がり、僕の目にも眩しく映るほどの美少女へと成長していきました。
それが中学になると激変しました。髪を染め、一時期不登校にもなりました。僕にもよそよそしい態度を見せるようになり、部屋に引きこもるようになったのです。
何か気の利いた言葉をかけて義妹の心的な問題を解決することが出来たらと思うも、そもそも人付き合いが苦手な元一人っ子です。向こうから無神経に抱きついてきてくれていた幼い頃とは違い、もう義妹は多感な思春期の少女に成長していました。
30歳なった僕でも、この学齢の女の子との付き合い方などいちばん苦手な分野であり、腫れ物どころか危険物を扱うように接するのがやっとでした。
この義妹に起きた異変の原因は、後に本人の口から聞くことになりました。
それは男女の関係になってから知った真相の告白であり、僕が衝撃を受けた妹の女としての素顔でもありました。
この先の事は、妹本人に記述してもらうことにします。
初恋の相手は義理の兄
〈妹の告白〉
幼い頃の記憶はあいまいだけど、毎日兄に甘えていたのだけは覚えています。
母が再婚したとき私はまだ2歳だったので、離婚した父の記憶もなくて、兄が再婚相手の息子で義理の関係というのも、小学校に入る頃になって母から聞かされてぼんやり、ああ、そういうことなんだ……、と理解したくらいでした。
父(再婚した)をお父さんと呼んではいたけれど、私の中では義兄がお父さん的存在でした。なぜかといえば、いつも遊んでくれたのが義兄で、一緒にいた時間も父より義兄のほうが多かったから、たまに「お父さん」と呼び間違えたことが何回かあったくらいでした。
お父さん的存在で、家の中でいちばん好きな人が義兄というか、いつも義兄に甘えて、遊んでもらっていました。
子供のときの「好き」という思いが、はっきりと異性としての「好き」に変わったのが、小学2年生の頃だったと思います。
それまでは母と父の同じ寝室で寝ていて、まだセックスといいう言葉も知らない幼稚園の頃に、母と父のする男女の行為を見てしまいました。
ぼんやりと、ああ、大人はああいうふうにエッチなことをするんだ……、と子供なりに納得しました。
テレビを観ていれば、普通にキスシーンがあったりするし、本能的というか、幼稚園児でも周りの子たちが普通に「○○ちゃんが好き」「○○クンと結婚する」とか言ってるから、大人になったらこうするんだなと思ったのを覚えています。
ただ、この母と父の行為が、ちょっと不思議に思えたのです。
幼かったから理解出来なかったけれど、母は父に奉仕行為をしていました。当時、すでに父は50代半ばを過ぎていたと思います。母はまだ20代後半だったと思います。