夫の上司の奴隷になった人妻の告白 ※DVD収録
告白 美緒(PN)
私は既婚者でありながら結婚というものが未だによく理解できていません。なぜ男女はお互いを愛し、体のみならず心まで欲するのでしょうか。私はそれとなくいろいろな人に「結婚とは何か」を聞いてきました。ある聡明な友人は「結婚は人間性を証明するシステムの一部」だと言っていました。両親に至っては結婚をして、ごく一般的な暮らしをすることが何よりもの幸せだと信じて疑いません。
でも、はたしてそう言い切れるのでしょうか。私にはどれも納得のいく答えではありませんでした。これから書くことに対する言い訳のように思われるかもしれませんが、私は結婚や愛について考えれば考えるほどに、陽が射すことのない深い森の闇に包まれてしまいます。ですから、改めて自分の心を整理するため、幼少の頃より愛読させていただいている『マニア倶楽部』様に投稿させていただいた次第です。
夫とご主人様
私は28歳の時に現在の夫と結婚しました。夫は職場の先輩で入社二年目の頃にデートに誘われるようになり、そのまま四年間の交際を経て、結婚に至りました。結婚して四年が経ちましたが、まだ子供はいません。それでも夫婦ふたりの生活は息苦しさもなく、それなりに幸せだと思える時を過ごしています。お互いの両親ともうまく付き合っていますし、親族はみな私たちに親切に接してくれています。もしかしたら世間一般ではこうした生活を幸せだと呼ぶのかもしれません。
でも、そのなかで私だけが少なくない違和を感じずにはいられませんでした。きっと、私は幸せな世界に迷い込んでしまった怪物なのかもしれないとさえ思っています。
単刀直入に言えば、私は夫以外の男性と関係をもっています。有り体に言えば不倫ということになりますが、おそらくその言葉は私たちの関係に当てはまりません。『マニア倶楽部』の皆様ならおわかりになっていただけるかと思いますが、私たちは恋愛や愛欲による繋がりなどではなく、完全な主従関係で結ばれているからです。
私のご主人様は、同じ職場の上司に当たる方です。実は、入社当時から私のことをご飯に誘ったり、プライベートでメールを送ってきたりと好意を抱いてくれていたのです。でも、ご主人様とは年が離れすぎていましたし、当時は「ごく普通の幸せ」な生活を望んでいたので、ご主人様との交際は考えられませんでした。ですから、私は今の夫を選んだのです。その選択は今でも間違ってはいなかったと思っています。結婚式の際はご主人様も「おめでとう!」と送り出してくださいましたし、以降は連絡もぱったりと途絶えました。それなのに、ご主人様と結ばれてしまったのには夫が仕事の長期休養を余儀なくされたためでした。
夫は何事にも真面目で、嘘をついたり、人を欺くことができない真正直な人です。それゆえに何でも一人で抱え込みすぎてしまったり、他人を気遣いすぎて自分が損をしてしまったりすることも少なくありませんでした。私は部署が異動になったため、当時の夫がどんなに厳しい状況に置かれていたのか想像もつきませんでした。きっと荷物を背負いすぎたのでしょう。夫はある日を境に大きな荷物に圧し潰されて仕事を休まなくてはならなくなったのです。
そんな時でした。夫の直属の上司だったご主人様が、終業後に声をかけてきたのは。
「いろいろ大変だったな。俺はあいつを見込んでいるから復帰まで待つように上にも頼み込んであるから心配するな。ほかに何か困ったことがあったら、いつでも相談してくれ」
ご主人様は、職場内では頼りがいがあって、面倒見のいい上司と評判でした。それに加えて、夫の復職を無期限で待ってもらえるように役員に頼み込んでくれたこともあり、何か御礼もしなくてはと思ったのです。後日、私はご主人様にメールをしました。
「夫のことで相談というか、御礼がしたいので、お時間を作って頂けませんか?」
その時は、かつて言い寄ってきていた男性という意識はまったくなく、ただ感謝を伝えなくてはいけないという思いだけで行動していました。ただ、今思えば私の方も何か別の考えがあったのかもしれません。
結婚してからというもの、夫との性生活でオーガズムに達することはありませんでした。決して表に出すことはありませんでしたが、心の奥底で渇きを覚えていたようにも思います。そうして、かつての上司は、私にとってのご主人様へと変わっていったのです。
私がご飯に誘った夜、久しぶりに体内へと注がれたアルコールは、想像以上に激しく私の心と体を揺さぶりました。隣にいる面倒見のいい上司に対して、今夜だけはすべてを委ねてみたいと考えてしまったのです。ご主人様はそんな私のあさましい渇きに気づいていたのでしょう。
「少し場所を変えないか」
それが何を意味するのかはわかっていました。妻としての罪を犯す。そのことに対して自分を責める気持ちがなかったわけではありません。というよりも私は心の中で自分を責めているうちに、余計に奥底の渇きを意識せざるを得なくなっていたのです。なぜなら、私は被虐的な願望をずっと秘めながら生きてきたからです。