お尻叩きマニアのレズカップルの投稿 ※DVD収録
告白 結衣&雪子(仮名)
【編集部より】
おしおきマニアの女性たちが設立したという、女の子だけのおしおきサークル様から投稿がありました。
お尻を叩かれている女性が雪子さん(PN)、お尻を叩いてる女性が結衣さん(PN)です。
お二人はこのおしおきサークルで出会い、現在はパートナーとして月一回『反省日』と称して、一ヶ月分のわるいことを反省するためのおしおきを、先生と生徒などのロールプレイを交えつつ行っているそうです。
それとは別にサークルの集まりがあり、おしおきの相互鑑賞会なども行っているとのことです。
雪子さんの告白
サークルに入会したとき、
「打たれるのが好きなの?」
と、皆さんに聞かれて言葉につまってしまいました。私にとってお仕置きとは恐ろしく恥ずかしいもので、好きと言っていいのかわからなかったのです。
うちの両親は共働きで、私は祖母に育てられました。祖母はしつけに厳しく、お行儀が悪いと手の甲をピシャリと叩かれることがよくありました。
今でも覚えているのは、小学校五年のとき、仲よしのミーちゃんの家で遊んでいた日のことです。私たちは戦隊ヒロインもののフィギュアが好きで、お人形さんごっこをして遊んでいました。友だちは私が持っていなかった新しいフィギュアを貸してくれました。ところが私は、遊んでいるうちにどうしてもそのフィギュアがほしくなり、悪いことと知りながら自分のバッグに入れてしまったのです。
家に帰るとさすがに罪悪感がこみ上げてきて、フィギュアは明日返しに行こう、まちがってバッグに入っていたと言おう、と言いわけまで考えました。
ところが、お風呂から出ると、怖い顔の祖母がフィギュアを持って待ちかまえていたのです。
「お友だちのものを持ち帰るなんて雪子は泥棒になったの?」
と言われ、とっさに嘘が口から飛び出しました。
「ちがうよ、ミーちゃんにもらったんだもん!」
「嘘おっしゃい! 人様から頂き物をしたときは、必ずおばあちゃんに言いなさいと言ってるでしょう? これは雪子が勝手に持ち帰ったものね? おばあちゃんにはわかるのよ?」
もうダメだ、と思いました。
祖母は嘘や言いわけは絶対に許さない人なのです。
正座して祖母に見つめられると、それだけで涙が出てきて、泣きながらありのままを話しました。もうしません、ごめんなさい……と言ったものの、祖母の険しい表情は変わりません。
「おうちの中だけのことなら、許します。でも、よそのおうちの人に迷惑をかけたのだから、反省しなくちゃいけません」
突然、祖母はすごい力で私の腕をつかみ、膝の上に伏せさせました。何がはじまったのかわからずにいる間に、パジャマとパンツを下ろされ、平手でお尻をぶたれたのです。
思わず痛いと叫びましたが、
「我慢しなさい! 悪いことをしたのは自分でしょう!」
と叱られ、さらに強い力で叩かれました。弁解のことばは心の中でバラバラになり、飛び散ってしまったようでした。
謝ってもだめだ、耐えるしかない……。十発までこらえたとき音がやみ、これで終わりかと思いましたが、祖母はだまってスリッパを脱ぎ、今度はスリッパで打ちました。革製のスリッパはよくしなって高い音を立て、突き刺さるような痛さにお尻は熱くはれあがりました。
まだお尻がジンジンしているのに、パジャマを脱いで服を着せられ、祖母に手を引かれて友だちの家に行きました。ミーちゃんはもう寝ており、お母さんが出てきましたが、祖母はまるで自分が悪いことをしたみたいに深く頭を下げて謝りました。
「両親に変わって雪子を育ててきたつもりでしたが、こんなことをするなんて、私の監督不行き届きです。お恥ずかしいかぎりです。申し訳ございません」
祖母は茶道の先生で、ふだんは威厳のある人です。その祖母が普段着のままお化粧もせず、何度も頭を下げているのを見て、自分のしたことが祖母を苦しめ恥ずかしい思いをさせているのだ……と思いました。
お尻の痛みより、そのほうがずっといやなことでした。帰り道、祖母はもう怒っていませんでしたが、私は家に着くまでずっと泣きどおしで、「ごめんなさい」と繰り返しました。
お尻を叩かれた経験はこのときだけでしたが、高校生になって、さらにお尻たたきに興味を持つようになったのです。
高校はバレーボールの強豪校で、全国大会にも出場する有名な学校でした。バレー部員はみな体格が大きく、同じ高校生でもずっと大人に見えました。
私は祖母の影響で茶道部に入りましたが幽霊部員で、部活をさぼっては、あこがれのバレー部の練習をのぞいていました。
ある日、いつものように体育館の裏側にまわった私は、バレー部の先輩が体育館倉庫で一年生をしごいている現場に出くわしてしまいました。
一年生はこちらを向いて立っており、私は思わず扉のかげに隠れました。ひときわ背の高い二年生が、
「いくよ! 根性十発!」
と声をかけ、一年生のお尻をゆっくりと平手で打ちはじめました。一年生は、大きな声で数をかぞえていますが、次第に頬が赤らみ、痛みにたえようと顔をしかめています。五月のさわやかな日でしたが、叩いている先輩もうっすら額に汗を浮かべているのも見えます。
あとから友人に聞いた話では、『根性十発』はバレー部の伝統のしごきなのだそうです。しごきが終わると、一年生は痛そうにお尻をさすっていて、私はなぜだかうらやましい気持ちになっていました。
しごき役の二年生が出てきて私の脇を通るとき、汗のにおいがふわっと風に乗って流れてきて、私は思わずクラクラしました。『根性十発』が見たくて、その後も何度もバレー部をのぞきに行き、自分がお尻を打たれるところを想像していました。
サークルに参加したのも、バレー部のしごきをのぞき見したときのように、誰かのスパンキングを見たかったからです。見て、想像するだけで私は満足でした。それが変わったのは、結衣さんとお話をしてからです。スパンキー全員のあこがれのお姉様である結衣さんが、この性癖で苦しい思いをされてきたことを知り、衝撃を受けました。
そして私も、祖母に平手とスリッパでお仕置きされた苦い思い出を聞いていただきました。結衣さんはシスターのようにやさしく話を聞いてくれて、
「私も雪子さんをお仕置きしたいわ。反省するあなたを抱きしめて、可愛がりたいわ」
と言ったのです。その日から私は結衣さんの専属スパンキーになり、結衣さんのお仕置きだけをいつも心待ちにしています。
結衣さんの告白
月例の『反省会』で雪子を見た日から、どうしてもこの人とスパンキングプレイをしたいと願っていました
私が女性だけのスパンキングサークルに参加した心境は複雑です。幼稚園の頃から、厳しいお仕置きとしてのお尻叩きに目覚め、遊び相手の男の子たちのお尻を叩いたりしていました。
思春期になって男子と交際しても、彼らに性欲を感じませんでした。私にとって、肉欲とスパンキングは切り離せないもので、彼らがお仕置きを求めていない限り、愛せないのだとわかり恋愛をあきらめました。
そんな私を変えたのが雪子です。「お尻をペシペシされながら優しく調教されたい」という女の子はたくさん見てきましたが、雪子は厳然とした打擲を求めていました。
この続きは、マニア倶楽部2020年5月号をご覧ください。