マニア倶楽部所有の奴隷たまもの近況報告です。
今号の浣腸排泄の前に行った経血を使った恥辱的な命令の一部始終を収めました。本誌未公開写真と合わせてどうぞ。
※顔出し写真と動画は
[MC201903]奴隷たまもの近況報告3 経血プレイ[動画]
に収録しています。
パスワードはマニア倶楽部2019年3月号の紙面に掲載。
マニア倶楽部所有の奴隷たまもの近況報告です。
今号の浣腸排泄の前に行った経血を使った恥辱的な命令の一部始終を収めました。本誌未公開写真と合わせてどうぞ。
※顔出し写真と動画は
[MC201903]奴隷たまもの近況報告3 経血プレイ[動画]
に収録しています。
パスワードはマニア倶楽部2019年3月号の紙面に掲載。
マニア倶楽部所有の奴隷たまもの近況報告です。
3月号ができた際に撮影したものです。
プラグのサイズをアップしました。その様子を収めました。
つばだけで直径4センチのプラグが簡単に入りました。
※顔出し写真と動画は
[MC201901]奴隷たまもの近況報告4 新しいプラグ[動画]
に収録したいます。
パスワードはマニア倶楽部2019年5月号の紙面に掲載。
告白 未来(PN)
オナニーの秘密
はじめまして。おそらくお兄さんとの関係は、すでにご存知なのでしょう。私たちは義理とはいえ、兄妹でありながら、肉欲に溺れる日々を過ごしています。およそ一年前から結ばれた私たちは、日に日に離れがたくなり、今ではお互いに依存しているようにさえ感じています。お兄さんに依存してしまうのは、私がMという歪んだ欲望を抱えていることと無関係ではないと思います。
私は昔から人付き合いが苦手で、大学に進学するまで男性と付き合ったこともありませんでした。セックスも大学のときに経験しましたが、快感だったり喜びを感じたことはありませんでした。その後も三人の男性と付き合いましたが、どの男性とのセックスでも、オーガズムに達することはなかったのです。別れる際に「マグロでつまんねーんだよな」とまで言われることもありました。
性欲そのものがないというわけではなくて、むしろ強いほうだと思っています。初体験を済ませた頃からスマホでアダルト動画を観るようになり、特に意識をすることなく自然と拘束されている女性だったり、首輪をされてぶたれている女性だったりが出演しているものを観るようになっていました。
そんな動画を観ながらオナニーをすることもありました。オナニーではイケるのにセックスではイケないことを悩んだ時期もあります。でも、いつの日かセックスとはそういうものだと自分を納得させて過ごしていたのです。
夫とのセックスもこれまでのセックスと何も変わりはありません。キスをして、ペニスを舐めてあげて、挿入。付き合っているときは、多少の快感を覚えることもありましたが、今では、ほとんど何も感じなくなってしまいました。それはきっと、私が自分をMだと自覚するようになってしまったからです。
出会った当初のお兄さんは、真面目そうでいい人という印象でした。夫は「優秀なシステムエンジニアで、自分にはないものを何でも持っている」とお兄さんのことを尊敬しています。実家に帰省してお兄さんと会うときは、普段はあまり飲まない夫でもハメを外すまでお酒を飲み、お兄さんと話している姿は本当に楽しそうでした。私も何の疑いもなくお兄さんのことを信頼するようになったのです。
でも、お兄さんとの信頼関係は偶然をきっかけにして壊れてしまいました。それは義父の命日のことでした。毎年、親戚一同が集まって宴席を設けていたそうですが、私は初めて参加することもあり、義母と一緒に準備に追われていました。
義父が好きだったというお寿司屋さんで寿司桶を頼むのが毎年の恒例なのですが、そのお寿司屋さんは遠方にあるため、こちらから取りに行かなくてはならなかったのです。
いつもお兄さんが車を出して、お母さんや夫と一緒に取りに行くのですが、今回は、初参加ということもあって、挨拶も兼ねて私がついていくことになったのです。黒いセダンの助手席に座り、お兄さんとのささいなドライブをすることになりました。
「悪いね、うちは親戚で集まるのが好きでさ。母さんも独り身だからこういう集まりがあると張り切っちゃうんだよ」
お兄さんがそんな話をしながらドライブは続きました。私は自分から話題を作るのが苦手だったし、あまり深く知らない男性と二人きりの空間に緊張もしていたので、そうやってお兄さんに話しかけられていたほうが楽でした。
でも、その他愛ない会話は思いもよらず長引くことになりました。道路が渋滞をしていて、なかなか前に進まなくなってしまったのです。
「まいったな。これじゃあ時間に間に合いそうもない。悪いんだけど、未来ちゃん、お店に電話して、遅れるって伝えてくれないかな?」
私はお店の番号を聞いていなかったので、お兄さんからお店の名前を聞いてスマホを検索しようとしました。そのとき、想いも寄らぬ事が起こりました。緊張で少し手汗をかいていたせいか、検索バーではなく、昨晩開いていたページを開いてしまったのです。それは、オナニーのために観ていたSM系のアダルト動画でした。
『ああーん、イヤぁ~』
私がちょうど果てた瞬間の映像は、まさにプレイの最高潮を迎えているときで、目隠しをされて両手を拘束された女性がバイブで絶頂に達する瞬間でした。慌ててしまった私は、再び手を滑らせてスマホをお兄さんの足元に落としてしまったのです。渋滞はひどくなっていて、車は完全に停車していました。
スマホを拾い上げたお兄さんは怪訝そうな表情を浮かべて、画面に目を落としました。
「未来ちゃん、こんなの観てるんだ?」
「あ、いや、ちがうんです。これは、あの、消してください」
私はしどろもどろになりながら懇願しました。
「うん、そうだね」
お兄さんは停止ボタンを押すと、スマホを手渡しました。そこからお店に着くまでのことはよく覚えていません。あまりに恥ずかしくて、何を話したらいいのかわからなくなってしまっていたからです。
この続きは、マニア倶楽部2019年5月号をご覧ください。
告白 なぎさ(PN)
異常性愛の目覚め
一度奴隷になった女は、二度と真人間に戻ることは出来ないのだと、私は思い知りました。
十年以上昔、私に奴隷になる悦びを教えてくれたのは、七歳年上のあるS男性でした。
当時の私は田舎から出てきたばかりの十九歳の小娘です。その頃の私は演劇の世界に身を置いて、早く一人前の役者になろうと頑張っていました。貧しいバイト暮らしを続けながらも青春の全てを演劇に捧げて、充実した毎日を送っていたのです。
そのS男性は、私のいた劇団で座長をしていた男性です。
その頃の七歳年上というと、自分より遥かに大人に思えたものです。ちょっと悪そうな雰囲気のある男性で、芝居の稽古の時は恐ろしいほどに厳しいのです。でもお酒に酔って演劇論を語っている時など、とても人間くさい魅力に溢れていて、いつしか私は異性として彼に惹かれていました。ほどなくして、彼とつき合うようになったのです。
つき合うようになった後も私はそのS男性のことを「座長」と呼んでいました。少し気恥ずかしくもある、私の青春期です。
座長は、私にとっては初めての男性でした。そしてその初めての男性が、SM趣味という特殊な性癖を持っていたのです。
ひよこが初めて見たものを親だと思い込むように、私は特殊な性を当たり前のことのように受け入れました。ありきたりな言葉で言えば、その頃に私は「調教」されたのだと思います。
目隠しをされ、首輪を嵌めながらするセックス。体を縄で縛られ苦痛を与えられながら奉仕する歓喜。誰に見られるかもわからない野外で肌をさらす、身をよじりたくなるような快感。
こんなことのすべてを、私は座長から教え込まれたのです。
右も左もわからない小娘だった私でも、このような行為が異常だということにだんだんと気づいてきました。このままこの世界から逃れられなくなるのが怖くなり、私は劇団を辞めました。その後は縁があってある実業家の男性と知り合い普通の男女の交際をし、結婚に至りました。それが今の主人です。
主人の会社の業績は順調で今では多くの従業員を抱えるまでに成長し、私は社長夫人という昔では考えられなかったような立場になったのです。
夫はノーマルな性癖しか持っていません。それを不満に感じたこともないつもりでした。
主人との間には娘も生まれ今では小学生になっています。
経済的にも、家庭的にも、幸福な女の人生を歩んでいるのだろうと、自分でも思っています。
このまま、自分の人生からはあの変態的な性、マゾの快楽の世界は消えて、まともな人間の生活を送るのだろうと、漠然とそう思っていました。
しかし運命の悪戯で、私はまたあの世界に……異常な性に溺れる快楽の日々に引き戻されてしまったのです。
運命を感じた再会
去年の夏を迎える少し前の頃のことです。エアコンの掃除をお願いしようと、便利屋さんに連絡をしました。
下手な業者を呼ぶより、そんな便利屋さんの方が丁寧な仕事をしてくれると、近所に住む奥さんに教えられたのです。
「どうも、今日はよろしくお願い致します」
便利屋さんから派遣されてきた二人の男性が訪ねてきました。五十がらみの初老の男性と、もう一人はそれよりは若い四十歳程度の男性です。
私は息を呑みました。作業服と目深にかぶった帽子で最初はわかりませんでしたが、若い方の男性は、あの私の最初の男性である「座長」だったのです。
私に首輪セックスの快感を教えた、あの彼だったのです。
座長と私とは、はっきり目が合いました。お互いの視線が絡むのを感じました。しかし座長は私から視線を外したのです。
あの、演劇にかけた青春の日々が甦りました。そして同時に変態性癖に身を任せ、快楽に溺れた日々のことも……。
視線が絡んだだけで私の股間は、はっきりと疼いたのです。
座長も私だと絶対に気づいたはずでした。だけど私には何も話しかけず、それ以降無視を決め込んだのです。
(どうして……?)
私は混乱しました。
この続きは、マニア倶楽部2019年5月号をご覧ください。
告白 あな美(仮名)
異常愛に堕ちた不貞妻
私はこの世で最も軽蔑すべき女です。世界一駄目な妻であり母親なのです。
私には、私の事を大切に思い愛してくれる夫がいます。そしてお腹を痛めて産んだ中学生の可愛い娘と、小学校に通う明るく元気な息子がいます。
ほんの数か月前は、私自身もそんな家族に見合う、模範的な母親であり妻であったと思います。でも今は違います。
私は奴隷なのです。それも正真正銘の奴隷です。何せ「私は奴隷です」という契約書まで交わしてしまったのですから。
その契約書を交わしたご主人様のことを、私は「先生」と呼んでいます。これは比喩表現などではなく、ご主人様は実際に学校の先生――娘の通う中学校の担任の先生なのです。
正直に告白します。初めて先生を見た時から、私の心には恋心が芽生えていました。
しかしもちろん、自分の感情を表に出すようなことはありませんでした。順風満帆な自分の家庭を壊すつもりなんて毛頭ありませんでしたし、一年過ぎて担任の先生が替われば、この気持ちも自然に消滅していくものと思ったからです。
しかし、先生に惹かれていく自分の気持ちは日に日に募っていきました。
実は、私には夫以外の男性経験がありませんでした。
ちゃんとした恋愛を経験する前に、夫と結婚したのです。
長年の夫婦生活の中で夫に愛情を持つようにはなっていましたが、燃えるような恋心を抱いたのは、先生が初めてでした。
私は娘の成績や進路のことなど、理由をつけては先生に会いに行くようになりました。
私のそのような気持ちは隠し切れるものではなかったのでしょう。先生も私の気持ちに気づいてくれたのです。
ほどなくして、二人きりになったとき、先生の方も私を求めてくるようになりました。
うれしかったけれど私は拒否しました。愛する夫と子供たちを裏切る訳にはいかない。
そう思ったからです。
けれど先生は強引でした。
「あなたとなら、教師の職を手放すことになっても構わない」
先生のその言葉が最後の一押しになって、私は先生と最後の一線を超えてしまいました。
わざわざ離れた街で落ち合って、ホテルに入りました。
真に愛する人とのセックスは、私にそれまで経験したことのない快感を与えてくれました。
しかし行為の最後に、当時の私にとっては考えられないほど衝撃的なことが起こりました。
先生は私のお腹の上に精液を発射しました。そのベトベトの体液を先生は手ですくい取って私の前に差し出したのです。
「これを、飲んでみせろ」
耳を疑いました。夫からそんなことを強要されたことはもちろんありません。冗談かとも思いました。でも先生の口調は有無を言わせないものです。
私は恐る恐る口を開け、舌を突き出しました。そこに白濁したドロドロのものが、なすりつけるように流し込まれます。
(苦い……おかしな匂い……)
不快感も覚えましたが、それ以上に「変態行為をしている」という背徳感が大きいのです。
不倫をしているという時点ですでに家族を裏切っているわけですが、それ以上に変態行為に足を踏み入れた自分に罪悪感を覚えてしまったのです。
私は自分のしたことに恐怖と後悔を感じました。
しかしこれはまだ、私が堕ちた地獄の入り口にすぎなかったのです。
この続きは、マニア倶楽部2019年5月号をご覧ください。
告白 塚田梨花子(PN)
人知れず育んだ被虐心
ふだんは明るい人気者で、誰からも好かれるキャラクターの女性なのに、裏ではマゾ性癖を露わにして緊縛やバイブ責めに喘いでいる。そして彼女のそんな姿を知っているのは、ご主人様である自分だけ――。
こんなシチュエーションを私は長年、夢見ていました。
そしてそんな私の夢を叶えてくれたのが、今、私の奴隷になっているこの梨花子なのです。
「男の人にいじめられたい」
そんな願望を、梨花子は子供の頃から胸に抱いていました。
しかしそれを誰かに言うことは決して出来なかったのです。
誰にも打ち明けることのできなかった梨花子もまた、私という男と出会うことによって自分の欲望を生まれて初めて叶えたのです。
天真爛漫な、愛されキャラの梨花子が、どうしてこのような性癖を持つに至ったのか。それを梨花子本人が手記にしたので以下におつけいたします。
どうか、彼女がずっと胸の奥に隠していたドロドロとした欲望を、貴誌の読者様に味わっていただきたいのです。
『マニア倶楽部』の読者のみなさん、初めまして。梨花子と言います。私がSMの世界を知るきっかけになったのは、お父さんが持っていたある週刊誌のグラビアでした。
別に、お父さんがエッチな本を隠し持っていたというわけではありません。ごく普通のオジサン向けの週刊誌が、家のテーブルに無造作に置かれていたのです。当時、まだ小学生だった私は、それを何気なく手に取って開いて見たのです。
私は息を呑みました。
そこには、刺青の入った綺麗な女の人が縄で縛られ吊るされている写真がいくつもあったのです。後になって、それは杉本彩さんが出演されていた『花と蛇』という映画の写真なのだと知りました。しかしそんなことを知らない当時の私は、刺青も本物だと思いましたし、女の人も本気で苦しがっているんだと信じてしまったのです。
SMや緊縛に対して何の知識もない小学生の女子にとっては衝撃そのものでした。私は目をそらし、雑誌を閉じました。
(これは、子供の私が見ちゃいけないものだ!)
子供心にそう思ったのです。
けれども、一度脳裏に焼きついたそのイメージは決して頭を離れることがありません。
四、五日悩んで、もう一度見て、確かめてみようと決心しました。その頃には、その週刊誌は家の物置に古新聞などと一緒に片付けられていました。
私は家族のいないときを狙って物置きに忍び込んで、雑誌をこっそり盗み見たのです。
明かりもない物置きの暗がりで見たその写真は、昼間に居間で見たときより、さらに淫靡なものに見えました。
心臓が口から飛び出すんじゃないかと思うほどドキドキしました。こんなところを誰かに見つかってしまったら、どんなに怒られるんだろう。そんな強い罪悪感も覚えました。そしてなぜかお股の部分が、おしっこがしたいときのようにジンジンと熱くなったのです。
私はページを閉じて元通りにして、物置きを出ました。
(もう二度と、ここに来てこれを見ないようにしよう……)
そう思いましたが、夜になっても私はあのグラビアページが頭を離れず、ろくに眠ることもできませんでした。
そして翌日も、そのまた翌日も私は家族のいない間に物置きに忍び込み、暗がりの中であの雑誌をひとり眺めたのです。
学校のトイレで手淫
何度も物置きに出入りしていると怪しまれると思い、週刊誌からグラビアのページだけをカッターで切り取りました。
そして自分の手元に保管しようとしたのですが、万が一にもこんなものを持っていることがばれたら、どんなことになるのかと気が気ではありません。
心配で自分の部屋に置いておけず肌身離さず持ち歩き、学校にも持っていったのです。
ポシェットの中のパスケースの中に折りたたんでしまい込みました。でも持ち歩いているとなると、それが気になって四六時中意識してしまうのです。
休み時間になるとポシェットを手に持ってトイレに行って、個室の中でそれを開いて眺めました。家ではなく学校でこんなものを見ているせいで、さらに罪悪感が増しました。
(ああ、アソコがまたこんなに熱くなってきちゃった……)
私はパンツを下ろし、ジンジンと熱くなっている股間に触れてみました。それまで、熱くなった股間に指で触れたことはありませんでした。怖くてできなかったのです。
指の先が、まだほとんど何も生えていない割れ目に埋もれました。思った以上に熱くなっているその部分が、おしっこではないもので濡れているのが、はっきりとわかりました。
私は声が出ないように息を押し殺し、それでも吐息を鼓動で弾ませながら、手に持ったグラビアをじっと眺めながら指先を前後に、割れ目をなぞるようにゆっくり動かしました。
(この綺麗な女の人のお股の部分も、こんなふうになっているんだろうか……こんな辛そうな目に遭っているのに……)
そんなことを考えていると、指先はどんどん強く割れ目の奥に埋もれていきました。
この続きは、マニア倶楽部2019年7月号をご覧ください。
告白 タケル(PN)
喜久恵は僕の可愛いペットちゃんです。日頃から「ごめんなさい」が口癖で、お仕置きするとそればかり口にしています。僕のチンポが大好物で、喉奥まで咥え込んで、目尻に涙をいっぱいに溜めながら、僕のミルクを嚥下しては「ごめんなさい」と言うので、僕は思わず抱きしめてしまいます。
僕にはマニア倶楽部に投稿されるような強いS性はありませんし、喜久恵ともハッキリとした主従関係ではないように思います。僕のことを「ご主人様」と呼ぶこともありません。ですから、皆さんにとっては面白みもないかもしれませんが、こうして投稿させていただいたのは、編集部や読者の皆さんにぜひ僕たちの関係を知ってもらい、ご意見をいただきたいと考えたからです。
きっと喜久恵はまだまだ自分を解放しきれていないように思います。まだまだ甘ちゃんの投稿だとは思いますが、よろしくお願いいたします。
深夜の雪
喜久恵との馴れ初めは、約二年前の冬の事でした。僕は友人と行ったスノボで派手に転んでしまい、大腿骨骨折という重傷を負い、約二ヵ月もの入院を余儀なくされていました。処置を終え、新潟から搬送された都内の病院に喜久恵は看護師として働いていたのです。最初に会ったときは特別な思いを抱いてはいませんでした。ただ、ハキハキとして生活に厳しい看護師さんが多いなかで、喜久恵は物腰が柔らかく、口調も穏やかだったので、話していて落ち着ける存在ではありました。でも、その一方でどこか影を感じさせるというか、ふとした瞬間に見せる沈んだ表情は物悲しげで、こちらが不安になることも少なくなく、とても印象的だったことを覚えています。
初めて喜久恵に好意を抱くようになったのは、深夜に雪が降ったときのことでした。ふと窓の外を見ると、病院の中庭がうっすらと白んでいて、そこに院内から漏れる非常灯などの灯りが反射して、見たこともない幻想的な光景が広がっていました。その頃には松葉づえを使えば一人でも立ち上がれる程度には回復していたので、少し中庭に出てみようとベッドから起き上がって廊下に出たのです。
「あら、Kさん、こんな時間にどうしたんですか?」
病室を出てすぐに出会ったのが喜久恵でした。僕は中庭の幻想的な風景と間近で見てみたいことを伝えると、喜久恵は見たこともない愛らしい笑みを浮かべました。
「けっこうロマンチックなんですね」
そう言って、屈託もなく笑う喜久恵を見ていたら、胸の奥がじんと痺れるような感覚になって、愛おしさがどんどんと込み上げてきたのです。僕は気恥ずかしさを覚えながら、喜久恵を中庭に誘いました。
「一緒にいてくれませんか?」
すると、喜久恵は急に顔を真っ赤にして俯いてしまいました。
実は、僕としては「一緒に行ってくれませんか?」と聞いたつもりだったのですが、どうやら噛んでしまったようで、ちょっとした告白の言葉のようになってしまったようなのです。
勘違いした喜久恵は、少し間を置いてから口を開きました。
「どういう、意味ですか?」
僕もまた勘違いしたままでしたから、喜久恵の言葉の真意を図りかねて、何となく気まずい空気になってしまいました。
「あ、ダメですよね。わかりました。おとなしく寝ます」
僕はあきらめようとしました。ところが喜久恵は「少しだけならいいですよ」と、一緒に中庭へと行くことになりました。深夜4時頃のしんと静まり返った病院の中庭で、二人で見た幻想的な風景は、今も瞼の裏に焼き付いています。
この続きは、マニア倶楽部2019年7月号をご覧ください。
告白 ミサト(PN)
日陰者の処女
「嫌らしい。淫乱だな」
初めて男の人の前で裸をさらした私に、ご主人さまはそう言われました。そして乳首を指さし、プッと噴き出して、おかしそうに笑っていました。
「本当に処女か」
私の乳首は、黒ずんで、大きなプルーンのようです。それは初潮を迎えた少女のころから、オナニーに耽り、いやらしい行為を妄想しては夜ごと身悶えしてきたからです。
今でこそセルフプレジャーともいい、女性誌で特集されもしていますけど、後ろめたさは常にあります。でも、それでも、悪い手が癖になり、その結果のいびつな乳首。それを一発で見抜かれ笑われてしまった恥ずかしさといったら、ありません。
私が両手で顔を覆い、肘で胸を隠して蹲ってしまうと、
「立ちなさい、こっちを向いて、ちゃんと見せるんだ」
主人さまは命令されました。
「弄ばれたい、いやらしいことをして欲しいって、願ってきたんだろ」
「……………」
恐る恐る顔を上げると、先ほどの嘲笑が嘘のように、優しく、あたたかい目をされています。
「いつものように、やってごらん。見られたかったんだろう」
このとき、M女として私は覚醒し、産声を上げたのだと思います。縛り、凌辱してほしい、飼育し調教されたい。それまで、ひとり闇の世界で夢想してきた被虐願望をかなえていただく時がきたと悟ったのです。
私は某私立大の院生です。図書館の片隅に籠りきりの、地味な堅物女でした。文学史の研究にいそがしく、論文作成に追われていたというのもありますけど、その実、紫式部らの綴る男女の情愛に女の部分を濡らし、身を焦がしていました。現実の色恋に憧れながら、こわくて、本や過去に引きこもっていたのです。いつか自分を見つけてほしい、無理やり押し倒し、犯してくれる男性を求める思いを胸に秘めたまま、気がつけば二十代も後半となり、地元では同級生の結婚やおめでた話が相次ぎ、お正月に家族写真付きの年賀状をめくっては、ため息をもらしていました。
そんな、日陰の歳月が走馬灯のように脳裏を駆けめぐり、
「はい、ご主人さま」と頷いて、嫌らしい乳首を晒しました。
「両手でつまんで、引っ張って、くりくりしているんだろう」
「あぁぁ」
手を動かし刺激して分かりました。見られている中でする恥ずかしさと快感。
「全く、はしたない女だ」
「申し訳ありません……淫乱なんです」
初めてする男性の前での行為に昂りはすぐ頂きを迎えそう。
「乳首オナニーで、イッてもいいですか」懇願し、何度も何度も痙攣を繰り返すのです。
健全な性生活を考えるセクシャルウェルネスに着目すると、日本の女たちは世界的にみて、とても貧しい状況におかれているように思います。私のように、未経験のまま自己開発してしまったり、ネットやボーイズラブのラノベで頭でっかちになっていたり、ちゃんと恋愛する前に経験ばかりが先行して、セックス依存症に陥ってしまったケースもあるそうです。
父子家庭での家庭教師
ご主人さまが与えて下さった、禁断の世界への扉は、意外なところに隠れていました。
学生だから、勉強だけしていればいいという時代では今はなく、キャンパスの掲示板や学生課で長く安定したアルバイトを探していたところ、場所も時間帯もお給料も自分にぴったりの貼り紙を見つけたのです。
中学生の家庭教師でした。早速面接に伺うと、お宅は都心の有名公園が徒歩圏内の閑静な住宅街にあり、体格の良いお父様と、思春期を象徴するニキビのA君が迎えてくれました。
「わけあって息子とふたり、父子家庭なんです」
お父様は野太い声でお話になり、A君の肩を叩きました。A君は人見知りなのか、おどおどして、うつむいています。
「高校受験まで面倒をみてください。私立に合格できたら、お礼も弾みます」
その待遇や成功報酬を聞いてやる気になったということもありますが、成熟したお父様と、思春期のムッとした若いオスの匂いがする一回りも年下のA君に刺激されたのも事実です。
個人教師は平日夕方からの2時間。一戸建てのお宅はいつも綺麗に整頓され、無口なお手伝いさんの夕食の支度する音がキッチンから響いていました。
私は二階にあるA君のお部屋で、西日の差し込む中、課題に取り組むA君の傍に付き添い、質問に備えます。
性に目覚める年頃の男の子を刺激してはならないと、服装などに気をつかっていたのですが、それでも、時おり太ももや、背中に熱い視線を感じてしまいました。素知らぬふりをして、空気が濃密になると、お手洗いに行くと席をはずして、気を紛らわしました。
下着を脱いで便座に座ると、ドア越しに、人の気配を感じました。まさかと思いつつも、音をたてないように用を足し、匂いや跡が残らないよう、気を配りました。
この続きは、マニア倶楽部2019年7月号をご覧ください。
告白 小山内(PN)
自死した初恋の女性
児童養護施設に勤めるようになり、もう三十年が過ぎようとしています。私がこの仕事を志したのは、ある友人の自死がきっかけでした。初恋の相手であり、私に生きる希望を与えてくれた女性でした。
彼女との出会いは中学のとき。お転婆で明るい性格な彼女に対し、私は純文学に傾注する根暗な少年で、友人と呼べる人間もほとんどいませんでした。日々「おはよう」と「さようなら」しか口にせず、私の心は現実から切り離され、物語の中でだけ生きていました。私はそれでよかったのです。
そんな私に現実世界の美しさを教えてくれたのが彼女でした。最初はただの好奇心だったのでしょう。クラスに居るのか居ないのかわからない影のような私が気になったのかもしれません。
「小山内くん、あそぼ!」
そう言って彼女はいつも唐突に私を連れ出し、ふたりでさまざまな景色を通り過ぎていきました。私たちは三年ほどそうして過ごしましたが、恋人という類の関係ではなく、一度も手を触れることもありませんでした。それでも私にとっては初恋の女性であり、人生を変えた先導者でもありました。
しかし、私は彼女の心が暗く深い沼に沈みこんでいたことに気づけずにいたのです。彼女は、養護施設で育ち、里親のもとで生活をしていました。そして、その里親からずっと性的虐待を受けていたのです。
「ばいばい」
そう短く書かれた紙きれだけを残し、彼女は沼の底へと飲まれてしまったのです。
彼女の死後、私は彼女の生きてきた境遇を辿りました。初めて訪れた彼女の家は、あばら家のように荒れ果てていて、腐敗臭やらアルコール臭が充満していました。すでに父親は収監されていましたが、玄関のカギは壊れていて、すぐに入ることができました。家の中はゴミだらけで、無数に転がるポリ袋をかき分けてリビングらしき六畳間の先に四畳ほどの寝室がありました。置いてあったのは一組だけの布団。きっと彼女が里親に虐待を受けていただろう場所です。私は、そこで味わったはずの彼女の苦しみを思い描きました。学校では笑顔の絶えない人気者だった彼女が、この異臭が満ちた空間で、里親による汚辱と恥辱にまみれ、叫びそうになるのを必死にこらえながら、縛られ、組み敷かれ、されるがままの性奴隷となっていた。
私のおぞましい妄想は、次々と淫らな言葉を生み、犯される彼女の姿が実体化していくようでした。その非情で陰惨な光景を前にして、私は愚かな、あまりに愚かなことに激しい勃起に苛まれていたのです。頭の中のただの妄想。映画でも小説でもなく、ましてや現実でもない亡き人の悲惨な姿。恨めしいはずなのに、私は逃れられない欲求の沼にずぶずぶと飲み込まれ、気づけば荒々しくいきり立ったペニスを激しくしごき、射精していたのです。私は手のひらから零れ落ちそうなほどの白濁液をぼうっと見下ろし、それでもなお収まらない勃起を憎みました。これは私の罪なのだと直感したのです。
幼いてまりとの日々
以来、私は児童養護施設で働くことを目標に生きるようになり、学生時代から児童にかかわる数々のボランティア活動をしました。それが、自分が犯した罪を贖う唯一の方法だと信じていたからです。しかし、贖罪のための善行は、繰り返し脳裏をよぎる、あの陰惨な光景と、そのたびに起こる激しい勃起と射精を覆い隠すためだけに存在しているにすぎなかったのです。私は施設で子どもたちを支援する一方で、SM雑誌やSM小説を読みふけり、いつ頃からか妄想で彼女を犯すのは里親ではなく、私になっていました。私はそんな自身を憎み、呪い、それでいて射精を繰り返していたのです。だからこそ私は、彼女のような悲しい運命を辿る子どもたちを生み出さぬよう、そして私のような愚かで呪わしい性への償いのためにもこの仕事を天職として全うしなくてはならないのです。
しかし、私はどんなに償っても償いきれない罪を犯してしまいました。もしかしたらこの表現は間違っているかもしれません。なぜなら、私は今も罪を犯し続けているからです。児童養護施設の長でありながら、保護されたひとりの子を奴隷として飼育しているのです。
この続きは、マニア倶楽部2019年9月号をご覧ください。
告白 ミサキ(PN)
姦淫という罪悪
私の父母は教育熱心で厳格なカトリック教徒。私も祖母と母の母校である女子大に入るよう、幼い頃から言われて育ちました。
オナニーは中学の頃に一度だけ、したことがあります。ですが「姦淫するなかれ」と言う聖書の言葉を思い出し、すぐに欲情を抑えました。以来、ずっと性欲を抑え続けてきました。
両親の言うことは絶対なので、言われるまま、母と祖母の母校とは違いますが、ミッション系の大学に入学しました。
もちろん、そこまで異性との交際経験もありませんでした。処女で、お嬢様として大切に育てられました。
ただ、親にも神様にも言えない、人ならぬ恋に人道を外れてしまったことも……。
正直に告白します。相手は高校時代の先生です。英語を担当していたWさんという、二十代後半の独身男性を好きになってしまいました。
いけない事と知りながら、大学に進んでからも、ことあるごとに先生の元へ英語を習いに行きました。
彼も個人的に卒業生を部屋に招き入れているのですから、元生徒以上の感情があったはずです。私も、それは薄々感じていました。
当時から私はカトリック教徒でしたが、恋に憧れる女の子でもありました。密かに恋愛感情を抱く年上の男性からアクションを起こされたら、信仰心も揺らいでしまいます。
私の想いを感じ取っていた先生が、もう生徒でない当時19歳の女子大生に手を出すのは時間の問題だったでしょう。
姦淫という罪悪は、彼に抱きしめられた瞬間、刺激剤になっていました。先生の手で服を脱がされ、濡れた性器を露わにされ、天井を見上げたまま、彼のペニスを受け入れました。
「こんなに濡れていて、糸引いてる。勉強しながら、エッチなこと考えていたんだね?」
そんな意地悪な言葉に吐息が震えました。そう、いつも英語を教えてもらっていたとき、彼の隣で下腹部を濡らしていたのは本当のこと……。
もう私は神様に背いたふしだらな女の子。そんな想いが、なぜだか身体を熱くしました。
甘い痛みと同時に熱い彼の一部を身体の内側に感じ、そして性器の奥にまで触れるペニスが、私の内部にある女の中心まで意識させられました。
子宮に彼の亀頭が触れることで、子宮の存在を感じたのです。不思議な気分でした。
罪を犯しているのに、私は甘美な陶酔に包まれました。乳房を揉まれ、プクンと尖る乳首を摘ままれ、ねじられ、そして彼の舌で恥ずかしいほど弾き踊らされる。姦通の痛みのなか、性感を見つけていた私。なんて破廉恥な女の子かしら……。
「ミサキはスケベな子だ。初体験なのに乳首を硬くして、ちょっと感じてただろ」
行為の後、先生が私の反応を指摘したとき、その目の奥にある残酷な何かに気付きました。
その日から、私は先生の言う『調教』という行為の対象者になったのです。
厳しい両親に細かくプライベートを監視されていましたが、SMプレイという単語くらいは知っていました。
「僕の言うとおり、どんな恥ずかしい命令にも従うんだ。そうだね、ペット、いや、奴隷になるんだ、できるかな?」
「奴隷って……、なんだかいやです、恐いし…」
けれど、嫌われたくないという気持ちが抵抗心を削ぎ、調教という淫靡なゲームを受け入れました。最初は恥ずかしいポーズを取らされました。
「裸になって、僕の前で足を開くんだ。ミサキのオマ○コが奥まで見えるくらい、自分で拡げなさい」
命令する口調は妙に優しく、生徒を指導する教師そのもので、それがSMプレイへのハードルを低くしました。
「恥ずかしいです……」
この続きは、マニア倶楽部2019年9月号をご覧ください。
告白 咲子(PN)
【囲む会会員より】
我々のマドンナ、咲子先生の誰にも知られてはならない裏の姿を、どうぞご覧ください。
咲子先生は、中学校で英語を教えている女性教師です。
一枚目の写真をご覧になればご理解いただけると思いますが、かなりの〝美人教師〟。清純でおっとりした雰囲気で学内でも人気の高い先生です。
明るく人当たりのいい性格で保護者からの信頼も厚く、担任ではないクラスの生徒の親にもよく知られているほどです。
私生活ではイケメンの婚約者もいて、まさに順風満帆の人生を歩んでいる女性と言って良いでしょう。
しかし、そんな咲子先生には裏の顔があります。
何人もの男から肉棒を突っ込まれ、悶え苦しみながら何度もアクメに達する淫乱さ。
その淫らな姿をカメラで撮られてさらに興奮する異常性。
そんな変態そのものの性癖を持っている女性なのです。
我々「咲子先生を囲む会」は保護者や同僚教師など、先生の秘密の性癖を知る特定の男性で構成されています。そして定期的に会合を開き、先生の隠された欲望を満たしているのです。
「囲む会」で初めて先生の裸体を見たときは、個人的に感動に近い感情さえ抱きました。
外見の清純さ通りの、慎ましやかかつ美しい肢体。淡い薄桃色に濡れ光る形のよい性器。
どれもこれも、イメージした以上のものだったのです。
そしてその味わいと言ったら……ここから先は私の筆力ではとうてい書き表せません。
それでは、なぜ先生がこんな異常性を身につけたのか、なぜこんな淫らな会が開かれるようになったのか、先生自身の告白でお読みになって下さい。
初めての恋人から調教
咲子と申します。職業は中学の教師です。
両親も教師で、経済的には何不自由ない家庭で育ちました。
友人と比較すると、門限が早かったり、テレビをあまり見せてもらえなかったりと、厳しく育てられた方かも知れません。
でもそれを苦に感じたことはありませんでした。自分が現在教育者になれたのは育ててくれた両親のおかげだと思い、尊敬の念を抱いてもいます。
私には大学時代から付き合っている男性がいて、ゆくゆくは彼と結婚するつもりです。
人からはよく「箱入り娘」と言われます。でも、自分自身にそういう意識はありません。
周囲からは真面目な優等生と思われていた私ですが、高校生の終わり頃には「いい子」とは言い難い経験もしています。
それは、大人の男性と交際していたということ。相手の男性はひとまわり以上離れた既婚者で、当時すでにお子さんもいました。不倫だったのです。
きっかけは思春期特有の大人の世界への憧れだったのだと思います。同年代の男子にはない大人の魅力に惹かれたのです。
奥手な私の初恋相手でした。
処女も、彼に捧げたのです。
その人は私に目隠しをしたり紐を使って体を縛ったり……そんな少し変わったことをベッドでしてきました。当時の私にはそれがどういう意味を持つのかよくわかっていませんでした。
でも私自身も、気持ちよさをその行為に感じていたのです。
濃厚な愛撫の延長として、それらの行為を捉えていました。
全身が蕩けるような、理性を失くし夢見心地にさせられるような、そんなセックスでした。
心も身体もすべて、その男性の中に溶けてしまうような……そんな性行為だったのです。
しかしその人からは、ある日突然、別れを告げられました。
「私のことはもう忘れなさい」
理解できませんでした。しかしその男性はそれっきり私に会ってはくれなかったのです。
私の初恋は失恋に終わったのです。不倫ですからそのような結末になるのは目に見えていたのですが、幼い高校生にはそれもわからなかったのです。
私は心に痛手を負いましたが時間が解決してくれました。
大学に入って新生活が始まると精神的にも立ち直り、今の恋人と出会い交際を始めました。
現在、彼との交際には十分に幸福を感じています。
でも正直に言うとノーマルな今の恋人とするセックスより、かつて不倫関係にあった男性に受けた仕打ちの方が、ずっと気持ちよかったのです。
それは言ってみれば、私の体の中に蒔かれたおぞましい種でした。
その種が私の内側で芽を出し花開いていたことに、私自身が気づいてなかったのです。
この続きは、マニア倶楽部2019年9月号をご覧ください。
告白 泣き顔フェチ(PN)
私は今、ひとりの奴隷を飼育しています。そうは言ってもマニア倶楽部の皆さんのような完全なる主従関係というわけではありません。私にご主人様としの力量が足らないこともそうですが、何よりその奴隷を深く愛してしまっているからです。
奴隷の名はありさと言います。私よりも十四歳も年の離れた女の子で、今は大学に通っていて、来年の就職先もすでに決まっています。女子大生といっても、ありさには浮ついたところがひとつもありません。いつも物静かで、不平不満を口にせず、誰かを傷つけることにとても臆病な、ラノベのヒロインのような女の子です。そんなありさと、私のような何の取り柄もない男が主従関係を結ぶようにになったのは、奇妙な偶然が重なってのことでした。だから、ありさは私たちのことをよく「運命」と表現します。私は気恥ずかしくて、あまり口にするのもはばかられてしまうのですが、今日はその「運命」についてお話させてください。憧れのマニア倶楽部に初めて投稿させていただくので、うまくお伝えできるかわかりませんが、何卒ご容赦ください。
親戚の少女
私が生まれたのはかなりの田舎で、道を歩けば声をかけられるし、近所に親類縁者たちが固まって生活をしているので、お盆や正月などはそれこそ大人数の宴会が催されます。
昔ながらの風習が残った地区でしたので、本家や分家といった家父長制のならわしもありました。そうは言っても昔ほど上下関係の厳しい感じではなく、なんとなく行事があるときは本家に集まるといった程度です。私は本家の次男として生まれたので、長らくそういった風習に親しんできましたし、東京に出るまでは当たり前だとも思っていました。
ありさは、私のはとこにあたり、親に連れられて盆や正月になると僕の家にやってきました。初めて見たのはまだ赤ちゃんのときでした。当時、思春期真っ盛りだった私は、そういった親族たちの宴席が苦手で、あまり積極的には参加していなかったので、赤ちゃんだったありさを抱くこともなく、「へぇ、そうなんだ」と一瞥しただけでした。ただ、ありさ(本当は漢字で書くのですが伏せさせてください)という名前を聞いたときに、「なんだか不思議の国のアリスみたいだな」と思ったことを覚えています。
この続きは、マニア倶楽部2019年11月号をご覧ください。