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[MC202103]娘同然の優香とのSMプレイ……若くて美しい肉体から一生離れることは出来ないでしょう

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姪とSM関係を結んでしまった男性の告白 ※DVD収録

告白◎バロン三木(PN)

成長した姪
 五十歳――「天命を知る」と言われる年齢になって、こんな罪深く倒錯した関係を持ち続けていることに、深い慚愧の念を覚えてしまいます。
 しかし私はもう、後戻り出来ないのです。二回りも歳の離れた若い女の魔性の肉体から、逃れることが出来ないのです。
 ときどき私は夢想してしまいます。私がこの女を奴隷のように扱い、調教し、辱めを与えていながら、支配されているのは逆に私の方なのではないかと。
 全てを見透かしたような優香の目に、私は背筋が凍るような思いを抱き、もうこんな関係に終止符を打とうと思いながらも、それが出来ないでいます。
 もう、十二年間も――。

 その若い女というのは、私の姉の娘、姪っ子なのです。名前は仮に、優香としておきます。
 私の家系は地元に親戚が大勢いて、みな比較的近所で暮らしています。姉夫婦の家も私の住む実家から歩いて十分もかからない場所に住んでいて、優香のことはそれこそ生まれた頃から可愛がってきました。
 もちろん、可愛がるというのは親類の子供を可愛がるという以上のものではありません。
 しかし叔父と姪という、私と優香の関係に、ある時期、ある変化が起こったのです。
 それは短期間の別離でした。
 別離といっても大したことではありません。もともと外資系の企業に勤めていた私が、ヨーロッパに三年間の期間限定で海外赴任になったのです。
 私の出発の日、優香は姉夫婦と一緒に空港まで私を見送りに来てくれました。
 中学生になったばかりの優香が目を真っ赤にして泣きじゃくっていたのを、昨日のことのように私は思い出します。
 それから三年後、同じように優香は他の親類と一緒に空港で私を出迎えてくれました。
「おかえりなさい、おじさん」
 その姿を目の当たりにして、私は思わず声を失いました。
 子供だった優香は、見違えるほど成長していたのです。
 手足はスラリと伸び、もともと整っていた顔立ちには大人びた憂いさえ宿っていました。
 大人の三年間と子供の三年間には、これほどまで違いがあるのかと、感嘆を通り越し、ある種の恐怖さえ感じました。
 その恐怖は、自分自身の心に向けられたものでした。
 私は優香に、女としての魅力を感じてしまっていたのです。
 血の繋がった、娘のような歳の女だというのに……。

密着する肌に欲情
 十六歳の姪――。
 その魅力にどう抗えばよいのか、私は悩みました。
 断っておきますが、私はいわゆるロリコンではありません。
 その類の性癖を持つ男に侮蔑の念を抱いているほどです。
 しかし優香のことだけは頭から払いのけられないのです。
 街中で見かける優香と同年代の女子には何の魅力も感じませんでした。ただ優香だけが私の心を揺さぶったのです。
 お恥ずかしい話ですが、当時三十八歳の私は、十六歳の姪に恋をしてしまったのです。
 寝ても覚めても、優香のことばかり考えてしまいました。
 ただ、頭に思い浮かべていただけではありません。
 優香の顔も体も、いつも私のすぐそばにあったのです。
 優香は事あるごとに私の住む実家までやってきて、私と遊ぼうとしました。
 子供の頃から私に特に懐いていた優香ではありますが、成長しても相変わらず、いえ、以前にも増して積極的に私に甘えてくるようになったのです。
 休日になると、きまって家に遊びに来ては、ゲームやショッピングモールでの買い物などに付き合わされました。
 私は顔では「やれやれ」という表情を浮かべ、子供の遊びに付き合う大人を演じました。
 でも内心は、天にも昇るほどうれしかったのです。一秒でも長く優香と一緒にいたいと思っていたのですから。
 しかし、叔父と姪という関係や年齢の差を抜きにしても、私には、それ以上に深い負い目がありました。
 それは、自分がSMマニアであったということです。
 私はもう何年も、女性を精神的、肉体的に屈服させる妄想でなくては性的興奮を得られない体質でした。
 そして、優香のことも自分の妄想の中では、M女として扱っていたのです。
 従順で、辱めに欲情し、私の求めることならどんなに淫らなことでも応えてくれる奴隷。
 十六歳の姪を相手に、そんな妄想をすること以上に、罪深いことがあるでしょうか。
 そんな私の悩みなどつゆ知らず、優香は子供の頃と同じように私に親しみを持って接してきました――行き過ぎなほどに。
 私の部屋でゲームをしながら子供の頃と同じように膝の上に乗ってきたことがありました。
(うわあ……)
 鼻先にある優香の黒いストレートの髪から、シャンプーや石鹸の匂いが立ち込めました。
 そしてその香りの奥から優香自身の体臭が香ってくると、クラクラと眩暈さえしました。
 膨らみそうになる股間に、優香のお尻が押しつけられます。
(まずい……!)
 私はとっさに、優香の体を床に投げ出してしまいました。

この続きは、マニア倶楽部2021年3月号をご覧ください。


保護中: [MC202105]定期購読限定① ※今号は特別に動画2つあります!

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[MC202105]キスさえ知らないまま、生まれて初めて男性から触られた部分……肛門でアクメしました

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処女のまま五年間家畜調教されている司書の告白 ※DVD収録

告白 響子(PN)

マニア倶楽部2021年5月号の特集は、「交際欄から始まったSM愛」と題して、本誌交際欄コーナーで出会った恋人たちの手記を掲載しております。
※2015年11月号交際欄掲載
 PN/KEYさん

(前略)

 ご主人様との出会いは私が五年前に貴誌の交際欄に投稿したことがきっかけでした。
 私がマニア倶楽部を知ったのは、大学を卒業して司書になってからでした。国立ほどではありませんが、閉架書庫の資料や国内外の雑誌もたくさんある県立の図書館です。
 ある日、よく見かける中年の男性が資料を探してほしいと言ってきました。カウンターには私一人でした。何冊かの資料名を言われ、私が検索機で探しました。その中に「雑誌:マニア倶楽部」があったのですが、図書館にはありません。
 男性は用が済むと立ち去りましたが、私は気になってインターネットでマニア倶楽部を探したのです。十八禁のアラートが出ましたが、なぜかそのままクリックしていました。もしかしたら私の知りたい何かに繋がっているかも知れない、という予感がしたからです。

 予感は的中しました。中学の頃から、囚われのお姫様の話や時代小説の刑罰の話などに妙にドキドキする子供でした。陰惨な話なのに、何とも言えない興奮を覚えて心惹かれるのはなぜなんだろうと思っていたのは、SMという性癖だったのかと理解したのです。
 男性に対して苦手意識があり、断り切れず交際を申し込まれても長続きせず、
「どうして別れたいの? 理由を言って」
 と言われてもどう説明したらいいか、言葉が見つかりません。相手も困惑し、私もいつも苦しい気持ちになり、自分は欠陥人間なのだと絶望しかけていました。それがMCを読んで、ああ、そういうことだったのかと。私には男性の妻や恋人になりたい気持ちがなかったのだ、と腑に落ちたのです。
 私がなりたいものはもっと別の存在、所有者に使役されるためだけに大切にされる、家畜のようなもので、何冊か購入したMCには、そんな人間家畜や性奴隷を所有する方からの投稿がありました。 
 自分の中でそう自覚したとき、で熱に浮かされたように交際希望のお手紙を書かせて頂きました。結果、私の拙い文章にたくさんの方からお返事が届きました。予想外のことで、嬉しかったのですが、同時にあまりのお返事の多さに怖くもなってしまいました。
 本当に私はだめな人間だと思いますが、お返事を頂いた皆様には、ここで改めてお詫びをさせて頂きます。
 言い訳になりますが、さまざまな調教プランを考えてくださった方も、Mとして最高の幸せを教えてあげますと保証してくださった方もありました。読んでいて妄想がふくらみ、ドキドキしましたが、私なんかに会ったらガッカリされるだけだ、と尻込みして、結局、誰にもお返事を出せなかったのです。
 そんな中、本宮さんのお手紙が心に留まりました。女性のような綺麗な細い字で、内容もあっさりと、「あなたの文章を見てあなたにとても興味を持ちました。よかったらメールか手紙で話をしましょう」というような感じでした。
 何故かこの人には無理せずにお話ができそうな気がする、と思ってお返事を出し、何度か文通が続きました。
 私が処女で男性の体をまったく理解できていないこと……。
 中学ぐらいから漠然とSMに憧れてはいるものの、マゾとしての覚悟などはできていない、妄想ばかりの頭でっかちだということ……。
 父親と生き別れになり、さらにその後父親が亡くなって、男性に甘えたり頼ったりできないこと……。
 そういうことを書くと、驚くほど心が軽くなるのがわかりました。SM以前に、人として本宮さんを信頼し始めていました。
 何通か手紙をやり取りして三ヶ月後、昼間にホテルのラウンジでお会いしました。

この続きは、マニア倶楽部2021年5月号をご覧ください。

[MC202105]透けるように白い裸身を初めて見たとき、可愛い愛奴を手に入れた喜びに胸が躍りました

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二十代の初心者Mと出会った中年男性の告白 ※DVD収録

告白 谷口隆史(仮名)


マニア倶楽部2021年5月号の特集は、「交際欄から始まったSM愛」と題して、本誌交際欄コーナーで出会った恋人たちの手記を掲載しております。

※2020年9月号交際欄掲載
 PN/すももさん

三度目の正直
 今回、初めて交際欄で知り合った女性と関係を発展させることができましたので報告します。交際欄では、過去に二度、女性と文通した事はありましたが、出会いまでは至らず、三度目のアポ成功で三度目の正直となりました。
 私はソフトなSM全般が好きなのですが、「恋人のような関係性+主従関係」がないと興奮できないタイプで、パートナーを見つけるのが難しいです。これまで二回、普通の恋愛からSMに発展させましたが、結局うまくいきませんでした。
 交際欄にメッセージを掲載している女性たちもしっかりフェチを持っている人が多いので、なかなか自分に合う人が見つからないと思っていましたが……。

 そんな中で「初心者」と言うすももさんのメッセージを見つけました。初心者なら自分の色に染めることもできるでしょうし、なにより恋人のような相手を求める自分には、すももさんと居住地(東京)が同じ、ということも重要でした。
 さっそく自分の嗜好や恋人のような関係性を求めていることなど含め、細かく書いて回送メールを送りました。未婚の独身であること、年齢や職業、経歴、身長や体重などの体型。自分の嗜好やプレイ遍歴、なぜ貴女に回送メールを送ったのか、最寄り駅、職場の地域、趣味など。言える範囲で、正直に書けば信用してもらえると思ったからです。メールアドレス以外にもLINEのIDも伝えました。
 次の号が発売され、二週間ほど経った頃、すももさんから返信が届きました。彼女の方も丁寧に身長や体重等を書いて送ってくれました。155センチ・体重は45キロ・バスト83センチ(B)/ウエスト56センチ/ヒップはたぶん90センチくらい……。掲載されたメッセージから、勝手に肥満体型の女性を想像していましたので、このプロポーションは意外でした。
 彼女からはプロフィールの他に、どのようなプレイをするのですか? という質問がありました。目隠しや拘束、バイブ責め、オナニー鑑賞等、自分がしていたプレイを列挙して返信しました。他に質問があったら何でもどうぞということと、よかったらすももさんが安心できる環境でお会いしてお話しませんか、と付け加えました。
 すぐに、お会いしてお話を聞きたいですと連絡が来ましたので、昼間の喫茶店でお話をすることになりました。
 待ち合わせの連絡用に私の携帯番号を教えました。そして、彼女は携帯番号を教えるのが不安だろうと思ったので、番号非通知でも大丈夫ですからねと付け加えました。
 当日、待ち合わせ場所に早めに着いた私は、かなり緊張していました。そもそも本当に来てくれるのかなと心配もしていましたが、約束の時間の少し前に彼女から電話がかかってきました。自分が座っている場所を伝えると、彼女がやってきました。
見た目は普通の二十代前半の女性でした。普通というよりは純真そうな可愛い方という印象です。こんな若い女性がマニア倶楽部の読者で、しかも交際欄に応募しているなんて、という驚きがありました。
 私が恋人のような関係性を求めていることは事前に伝えていましたので、彼女の方から現在付き合っている彼氏はいないと言ってきました。そして、何回かデートしてみて、お互いよければ関係を発展させていこうということになりました。

 それから週二~三回のペースで会って、食事などをしました。そして一ケ月くらいたったある日、彼女は私と同じ路線に住んでいることを教えてくれました。同じ路線であることが、今回私とやりとりをし始めたきっかけだったそうです。
 彼女も私と同じように、恋人のような関係を望んでいて、近くにいて会える人がいいと思っていたようです。住んでいる場所を教えてくれるというのは、私のことを信頼してくれて、関係を発展させたいと思ってくれたのだと思いました。私は、意を決して彼女をホテルに誘いました。彼女は、はにかみながらOKしてくれました。
 最初のデートから、いつなにがあってもいいようにカバンに道具を忍ばせていましたので、この日も、バイブ、ローター、手錠、アイマスク、とグッズは揃っていました。

桜色に染まる無毛ワレメ

 ホテルに入っても、緊張で頬を染めたまま目を泳がせていたすもも。初めてのプレイですが、SM前提での関係なので、私は主人らしく振る舞うことにしました。
「それじゃあ、俺の前で服を脱いでごらん。ちゃんと身体を見せるように」
 デートでは「私」「自分」と大人の男性らしく言っていたが、この瞬間からすものの前で「俺」と言うことにしました。すでに主従関係が確定したのだと彼女に認めさせるためでもありました。

この続きは、マニア倶楽部2021年5月号をご覧ください。

[MC202105]縛られお尻を叩かれながら「私を奴隷にしてください」と懇願していました。

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幼い頃からの願望を叶えた巨乳令嬢の告白 ※DVD収録

告白 響子(PN)


マニア倶楽部2021年5月号の特集は、「交際欄から始まったSM愛」と題して、本誌交際欄コーナーで出会った恋人たちの手記を掲載しております。

※2019年11月号交際欄掲載
PN/香る子さん

マゾペットからの挨拶
『マニア倶楽部』様、ありがとうございます。こんなありきたりなお礼の言葉しか申し上げられないことを恥ずかしく思うくらい、私は感謝しています。
 何といっても、私のマゾ性を満足させてくれる男性に、私を引き合わせてくださったのですから、どんなに感謝の言葉を尽くしてもし過ぎるということはないと思います。
 その男性、羽田さんに、私は現在飼われています。

 羽田さんの奴隷にしていた頂いた私は、こうして告白を書いているだけで幸せな気持ちがこみ上げてきます。
 男の人に隷属することがこんなに幸福だなんて、私は思ってもみませんでした。やっぱり私は、自分で思っていた以上のマゾ体質だったのです。
 その羽田さんから命令されて私はこの手記を書いています。
「お前がどうしてこんなマゾになったのか、それをお前自身の手で書いて、投稿しろ」
 このように言われたのです。
 自分がなぜマゾになったのかを語ること、それは自分の人生そのものを語ることです。私はマゾである自分をずっと隠して生きてきました。
 マゾでありながら、私をいたぶってくれる男性に巡り合うことはついぞありませんでした。そんな「不完全なマゾ」が、私の前半生だったのです。
 マゾという存在は、ご主人様がいて初めて成り立つものだと私は思います。その意味で羽田さんに出会う前の私は、幽霊のようなものだったと思います。
 そんな幽霊のような女の手記を読んで喜んでいただけるのかどうかとても不安で恥ずかしくもありますが、その羞恥すら今の私にとっては快楽です。
 前置きが長くなってしまいましたが、私というつまらない女がご主人様に出会う前、「不完全なマゾ」としての半生に、しばしの間、お付き合いいただければと存じます。

幼少期の「隷属願望」
 私の家は、いわゆる裕福な方だと思います。両親の実家とも代々続く家業をしているような家でした。
 そんな家に生まれた私は、自分で書くのも変ですが、お嬢様だったと思います。女は私ひとりだったので、親戚中から溺愛されていました。
 子供の頃から何不自由ない暮らしでしたし、友達との会話などでさまざまなギャップを感じていました。
 両親からの数々のプレゼントの中でも、忘れられないのは犬でした。当時二歳の雌のゴールデンレトリバーを、十歳の誕生日に贈られたのです。「はな」と名づけたその犬を私は可愛がっていたかというとそうでもありません。
 誰にも口に出して言いませんでしたが、私ははなを羨ましがっていたのです。
「そら、はな、取ってこい」
 父が投げたフリスビーを口にくわえて持ってこさせるのが、家の近所の大きな公園を散歩するときのお決まりでした。
(私もやってみたい……)
 はなが命令された通りにフリスビーを口にくわえるその姿を見て、私は心の中でそんなことを思っていたのです。
 なぜそんなふうに思ったのか自分でも上手く説明できません。無意識のうちに箱入り娘のお嬢様である自分に違和感を感じていたのかもしれません。
 勿論、犬のように扱われたい。命令されたい――こんな願望を持つことが異常だということは、幼い私にもわかっていました。だから誰にも言いませんでした。
 でも言わなかっただけで、私は何度も脳内で犬のように扱われる自分の姿を妄想しました。そのような妄想をするのは、きまって夜寝る前の、ベッドの中でした。
 妄想の中の私は犬と同じペットなので裸でした。そして首には首輪がかけられていました。首輪から伸びた銀色の鎖は、顔の見えない誰かの手につかまれています。
 私はその人の前で四つん這いになっているのです。お尻を上げてその人に向けているのですから、きっとあそこも、お尻の穴も丸見えだと思いました。
 そこまで妄想すると、私の幼い股間は疼いてどうしようもなくなるのです。本当に視線を感じたようになって、恥ずかしいのに気持ちよくなるのです。
(ダメ……こんなこと……!)
 そう思いながらも、私は股間に伸びる指先を止めることができませんでした。指先を亀裂に埋めて動かしていました。
 犬と同じ扱いをされる自分を妄想して、自慰をくりかえすそんなオナニー常習者の小学生がまともであるはずありません。
 小学生なのに恥ずかしい格好をさせられたり酷い命令をされたりする被虐妄想にエクスタシーを感じて気持ちよくなるようなそんな私は、破廉恥で恥知らずの異常性欲者なのです。
 そんなことで悩んだり、苦しんだり、考えたことなどないであろう飼い犬の「はな」が羨ましくて、私はいつも「はな」になりたかったのです。
 難しいことを何も考えず、ただ主のために命令に従って媚びて、甘えて、餌をねだる。そんな愛玩犬の隷従する姿に自分の姿を重ね合わせて悦びを感じていたのです。
 満たされない自分の被虐心をどうすることもできず、そんな不道徳な自慰行為をくり返していたのです。

この続きは、マニア倶楽部2021年5月号をご覧ください。

[MC202105]絶対に嫌だったのに、気付くと自分から「浣腸してください」と懇願していました

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浣腸マゾに調教されている初心者マゾOLの告白 ※DVD収録

告白 杏子(PN)

マニア倶楽部2021年5月号の特集は、「交際欄から始まったSM愛」と題して、本誌交際欄コーナーで出会った恋人たちの手記を掲載しております。

※2019年3月号交際欄掲載
 PN/あんこさん

体験してみたい
 一昨年に交際欄に掲載していただいた「あんこ」改め杏子と申します。あの掲載をきっかけに、今のご主人様と出会うことができました。
 内心では、メッセージなんて来ないんじゃないかって思っていました。だから、あんなにメッセージをいただくなんて予想していませんでした。
 ただ、交際するなら都内近郊に在住していて、一〇~一五歳ぐらい年上の男性がいいと、ぼんやりと考えていて、お会いしたのはご主人様ただひとりです。

 私は、年上の男性としか交際したことがありません。好きになるのはいつも年上で、中学生の頃、社会人の男性と付き合ったこともあります。初体験もその方でした。でも、若い頃は全然SMに興味はなくて、今思えばもともとMっ気は強かったのかもしれないけど、縛られたり、痛い思いをするのはどうしてもイヤでした。
 そんな私が『マニア倶楽部』を手にしたのは、ちょっとした冒険心だったんです。中学や高校の頃から、純愛モノの少女漫画や小説をよく読んでいました。作品の中に登場する男性はいつもスマートで優しくて、あんなふうに思われて抱かれてみたいって、ずっと憧れていたんです。でも、大人になるにつれて、現実の恋愛は、漫画や小説みたいにうまくいかないってことがわかってきて、特に不倫男性にひどいフラれ方をしてからは、恋愛に絶望していたんです。
 そんなとき、純愛モノの漫画や小説は全然つまらなくて、むしろイライラしてしまうので、だんだん愛憎モノを好むようになったんです。そういう作品では、SMっぽい感じの描写が多くて、そこからなんとなく興味をもつようになって、気づいたらネットで検索するようになっていました。SMっぽい動画を観てオナニーするようにまでなっていたんです。
 そんなときに、たまたまネットで見つけたのが、『マニア倶楽部』でした。写真やDVDを観て、すごく興奮したけど、自分にできるかどうかはわからなかったし、やっぱり痛いのは怖いなとも思いました。
 でも、体験してみたいという気持ちも確かにあって、かなり迷ったけど、ソフトなものならいいかなって思って、投稿したんです。今は、ご主人様と出会えたので、勇気を出してよかったなって思っています。

ご主人様との対面
 ご主人様とはメッセージのやりとりをしているときから、包容力のある方だってすぐにわかりました。朝も夜もマメにメッセージをくれたし、私が仕事で失敗したときも、すごく気遣ってくれました。メッセージをしているときは他愛もない会話ばかりでしたが、三週間ほどやりとりをしたとき、ご主人様から誘ってくれました。
「そろそろ会いませんか?」
 改めてそう言われると、急にドキドキしてしまって、返信するのに二時間以上もかかってしまいました。
 会うってことは、つまりSMプレイをすること。そんなふうに考えると、これまでご主人様としていたメッセージのやりとりが、急に恥ずかしくなって、会ったら嫌われてしまうんじゃないかとか、私なんかで満足してくれるのかとか、不安が一気に噴き出してきて、でも、どこかでこの人ならされてみたいっていう気持ちもあって、何が何だかわからない感じになっちゃったんです。
「私なんかでいいですか?」
 なんか卑怯な聞き方だなって思います。でも、それが精いっぱいの返信でした。ご主人様は、そんな私の不安をすぐに察してくれたんだと思います。
「うん、君に会いたい」
 恋愛に絶望していたはずなのに、私はいつの間にかご主人様に夢中になっていました。普段はジョークを言い合ったりして、年の変哲もない会話ばかりしていたのに、こういうときだけ大人になるなんて、ちょっとズルいとも思いました。
 でも、そのメッセージに、ちょっとした色気やSっ気を感じてもいました。そんなふうに言われて、断る選択肢はありませんでした。
「はい」
 絵文字もつけない、味気ない返信だったかもしれません。でも、この二文字のほうが、私にはしっくり来たし、覚悟も伝わるような気がしたんです。
「ありがとう」
 ご主人様の返信も普段とはちがう雰囲気が漂っていました。その後、ご主人様は会うための段取りをとってくれて、翌週の土曜日に会うことになりました。それまでの時間は長いようにも短いようにも感じました。
 ただただ、心臓が破裂しそうなほどドキドキして過ごしていました。あんなに緊張したのは、後にも先にもないかもしれません。それぐらい、私はとんでもなく緊張していたんです。

この続きは、マニア倶楽部2021年5月号をご覧ください。

保護中: [MC202107]定期購読限定

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[MC202107]卑猥な言葉を浴びながら生まれて初めてイクということを知りました

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封印していたマゾ性癖を見抜かれてしまった人妻の告白 ※DVD収録

告白 千夏(PN)


兄の部屋

 皆様、はじめまして。Kさんに『肉便器』として飼育されている千夏と申します。
 夫がいる身でありながら、今はKさんの調教が何よりもの生き甲斐となっています。このたびマニア倶楽部に投稿記事を掲載していただくことになり、心より感謝しています。
 Kさんもとても喜んでくださり、「すべてをさらけ出せ」とおっしゃってくださいました。こうして手記を書くのは初めてのことなので、皆様のご期待に応えられるか不安ではありますが、私なりに精いっぱい書かせていただきますので、最後までお付き合いくださると幸いです。

 私は、これといった特徴のない地方都市に生まれました。家は、最寄駅からバスで20分ほどいった丘の上のニュータウンにありました。保育園や小学校、中学校も併設されていて、コンビニやスーパーも徒歩圏内にありました。
 駅から遠いこともあり、幼少期は、ほとんどニュータウンから出ることはありませんでした。遊ぶときも近くの公園ですから、ほとんどが顔見知りで、とても閉塞的な世界でした。
 私はそんな世界になじめず、あまり外で遊ぶことはありませんでした。そのため、友達も少なく、家の中で読書や映画鑑賞、インターネットばかりしていました。ただ、家にはノートパソコンが一台しかなく、家族で共有して使用していたので、ほとんど三つ年上の兄が独占していました。
 私は、ときどき兄の部屋に忍び込んでパソコンを使い、漫画やアニメの情報を検索する程度のものでした。もちろん忍び込んだのは内緒にしていました。
 兄はちょっと神経質な性格だったので、部屋に誰かが入ることを極端に嫌っていました。
 特に中学生にあがると、それは顕著になっていて、兄が部屋にこもっているときはノックをするだけで、怒鳴られることもあったほどです。
 兄妹仲が悪かったというわけではないのですが、兄が中学生になってからは、少しずつ会話をする機会も減りました。兄も私に負けず劣らず内向的でしたし、思春期ということもあって、余計に疎遠になりやすかったのかもしれません。
 ただ、兄が部屋にこもる時間が増えたのは、ほかにも理由がありました。私がそれを知ったのは偶然でした。
 小学校四~五年生ぐらいのときでしょうか。私はいつものように兄がいないときを見計らって、兄の部屋に忍び込んでパソコンを使おうとしました。
 その際、机の上に積まれていた本の山を崩してしまい、私は慌ててそれを拾い上げました。この部屋に入ったことがバレると、のちのち怒られてしまうからです。すると、本と本の間に挟んであったノートがめくれ、中に奇妙な落書きが描いてあるのを発見しました。あまり上手ではありませんでしたが、大股開きの裸の女性のようでした。
 手首を縛り上げられ、口にはボールギャグをはめられていました。ダラダラとよだれを垂れ流し、その目から大粒の涙が描かれていました。
 もちろん当時の私は、SMなど知る由もありませんでしたが、あまりに奇怪な絵に、思わず見入ってしまったのです。
 ふと、崩れた本の山へと目をやると、そこにはちょうど絵の題材になったであろう女性が表紙の漫画を見つけました。
 なぜ女性は縛りつけられ、裸で涙を流しているのか、当時の私には見当もつきません。
 ただ、それが空恐ろしいものであると知りつつも、私はその本に手を伸ばしました。
 それは、生涯で初めての冒険だったように思います。決して見てはいけないもの。この閉塞的で平凡な街のなかで、この本の女性だけがあまりにいびつで、何だかワープホールのようにも思えたのです。
 ページをひとめくりするたびに、衝撃的な世界が拡がっていました。女性の裸体を打ち抜く鞭、股間に突き立てられたバイブ、手のひらの痕が描かれたお尻。最終的に女性は「オチンポすごいぃ」などと泣き叫びながら、喜びの表情を浮かべていました。
 私もセックスに対する知識がなかったわけではありません。少女漫画にもちょっとした性的な描写はありましたし、大人の男女がどういう行為をしているのかという認識ぐらいは持ち合わせていました。
 しかし、その漫画に描かれた世界は、私が知るセックスではありませんでした。ドM、マゾ牝、豚などと卑下するような言葉が並び、私はそこにはっきりと「異常」を感じ取っていました。この紙一枚を隔てて、退屈で何もないニュータウンとは別の、異常でいびつな世界が存在する。それが私に奇妙な高揚感を与えました。
 下腹部がきゅうっと熱くなる感じを覚え、私は異常な世界へと飲み込まれてしまったのです。兄が帰ってくる時間まで、私はその漫画をひたすらに読み耽りました。

この続きは、マニア倶楽部2021年7月号をご覧ください。

[MC202107]気持ちいいことばかりを教えられて、先生の性奴隷になってしまいました

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マゾ快楽を躾けられた美人女子大生の告白 ※DVD収録

告白 アンナ(PN)

誰も愛せない
 先生と知り合うまで、自分は少し変なのかなあと思っていました。気がついたのは中学の時です。
 クラスメートの話題は好きな人のこと、付き合っている相手のことばかり。私も男子と付き合ったりしましたが、そんなに夢中にはなれませんでした。
 高校にもなると、友達が、
「きのう〇〇とキスした」
「最後までやった。チンチン意外に大きかった」
 などと言うのを面白がって聞いてはいましたが、自分もしたいとは思えなかったのです。
 校内で友達の相手の顔を見ると、この人とキスしたのか、あんなにキャッキャ言うほど楽しい経験だったのか、と不思議な感じがしました。
 私は不感症なのかな、と思いました。オナニーをしたこともなかったのです。でも、そんな私も大学に入って、初めてを経験しました。

 学祭に、学年ごとのミス&ミスターを選ぶ『ベストカップルコンテスト』という催しがありました。
 私とベストカップルになったのはカジ君という男の子で、陸上部で活躍している細マッチョ。前から名前は知っていて「いいな」と思っていたのですが、カジ君も、
「ミスがアンナさんでよかった」 
 と言ってくれて、コンテストをきっかけに付き合うようになりました。
 好奇心でいっぱいの一九歳です。自然にキスしてセックスして……という感じでした。
 初めてなのに、友達に聞いていたほど痛くなかったのは、あまり緊張していなかったからかも知れません。
 ついにこの時が来た、というワクワク感はありました。でも、それだけしかなくて、次会った時には「またするのかあ」という気分で、ときめきはありませんでした。
 カジ君は、私の中に入れて腰を動かしている時もカッコよかったです。引き締まった肩や腕は綺麗だと思ったし、背中にしがみつくと、筋肉が生き物のように動くのもわかりました。
 でも、それだけだったのです。避妊もちゃんとしてくれたし、セックスするようになったからと言って態度が変わるようなこともなかった。それなのに私はどうしてこんなに浮かない気分なのか。
「もうカジとやった? どうだった?」
 仲の良いみんなに冷やかされて正直に答えると、
「やっぱアンナはクールだね」
「同い年の男じゃダメなんじゃない? うんと年上の人がいいんじゃない?」
 と言われました。
 セックスをしたのに、私の気持ちは友達以上になれません。「アンナが好き」と言ってくれるカジ君に悪い気がしました。 私はいったい彼に何を求めているんだろう、と悩みましたが、答は出ないまま彼とは自然消滅になりました。
 年上の人と付き合うべきかな、思いましたが、四年生などは大人の男性という感じがしても、付き合ってみるとやっぱりカジ君の時みたいになってしまう。
 私はいつも、キスしたそうにしているからキスさせてあげているという感じ、相手が興奮してしまったからセックスすることになっちゃったという感じ。性格の悪い女でした。
 ほかの女性はこんなふうに冷めていない、彼氏がしてくれることに夢中になり、もっとしてほしいと願っていたりするんだろうな――友達はみんなそうで、恋愛に夢中でした。
 このままでは誰のことも愛せない。友達にはあって、私には欠けているものがある。それは何なのか――。
 その答がわかったのは、先生と付き合うようになってからでした。
 うちの大学では二年次からゼミに入ることができ、私が選択したのが先生の比較文学ゼミでした。論文をたくさん書かされる、評価が厳しく欠席が多いと落とされる、そして何より先生が不愛想で怖い――というので、ゼミ生は一〇人もいません。
 大学の先生は一般企業のサラリーマンより地味な服装の人が多いですが、先生はラフで私たち学生とあまり変わりません。二〇歳も年上の助教授なのに、中年でもそんな男性もいるんだなと好感を持ちました。
 うぬぼれかも知れませんが、先生も私に関心があったと思います。厳しいと評判のゼミには、私のようなフワフワした女子は入って来ないので、珍しかったのではないでしょうか。
 仕掛けたのは私からです。
 ある日、研究室に一人残って勉強していると先生が来て、一緒に帰ることになりました。駅前に来たとき先生が、
「ビール飲んで帰るけど君も行くか?」
 と聞いてくれたのです。チャンスだと思って、お酒をどんどん飲み、プライベートな話をたくさんしました。
 付き合っている男性はいるのかと聞かれ、カジ君のこと、カジ君との行為に何も感じなかったので、恋愛そのものに関心がなくなったことを話しました。
 すると先生は、
「人間は他の動物とはちがい、繁殖期が決まっていない。だから性的な行動をするには、演劇性が必要なんだ。男が男を、女が女を、片方が主人を、もう一方がスレイブのロールプレイをすることが欠かせないんだね。その彼は、残念ながらまだそれがわかっていなかったんじゃないか。ただ男から性欲だけぶつけられても、女性は興奮を共有できないよ」
 と言ったのです。私はぽかんと口を開けてしまいました。
「あ、ごめん。こんな話はセクハラか」
 と先生は言いましたが、私は怒ったのでも傷ついたのでもありませんでした。自分はいったい男性との交際に何を求めているのかと悩んできた、その答を先生が言ってくれたので驚いたのです。
「いいえ、そんなことありません。ああ、そうだったのか、と思ったんです」
 先生に接近したことは間違いじゃなかった……!!
 居酒屋を出て、酔った勢いでホテルに行きました。助教授と学生という立場でも、先生は独身なので恋愛関係になっても問題はないと思いました。

この続きは、マニア倶楽部2021年7月号をご覧ください。

[MC202107]子供の頃から背徳的な世界に憧れてずっとひとりで自分を慰めていました。

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編集部を訪れたマゾ女性 ※DVD収録

松井美雪(仮名)28歳・OL

マニア女性からのメール
 マニア倶楽部編集部の皆様、はじめまして。わたしはマニア倶楽部をずっと愛読させていただいている読者です。
 どのページも私には刺激が強いんですけど、だからこそ惹きつけられものを感じています。
 私は子供の頃からずっと性的な好奇心が強くて、妖しい背徳的な世界に憧れていました。実は、小学生の頃からオナニーをしています。それからずっと拘束されたり、目隠しをされたりして犯されるような妄想オナニーばかりしています。
 彼氏ができたこともあったんですけど、どうしても打ち明けることができずに、今に至るまでSM体験はまったくありません。というのも、彼氏に打ち明けて無理やりやってもらうのも違うなって感じているからです。

 今回は、勇気を出してメールを書きました。恥ずかしいんですけど、やっぱり調教とかされてみたいと思ったからです。いちおう写真もつけましたが、あんまりキレイではありませんし、スタイルも全然よくないので、マニア倶楽部に掲載されているような、キレイなモデルさんとは比べようもありません。
 掲載されなくてもいいですし、一度だけでもいいので、調教されてみたいです。お話を聞いてくださるだけでもいいので、もしよかったらお返事をいただけるとうれしいです。
 こんな私ですが、どうかよろしくお願いいたします。

編集部からの返信
 以上が、松井さんから届いたメールでした。お写真は、おそらくご自身のスマホで撮影されたであろう鏡に映った下着姿の松井さんでした。

『松井さまの思いのたけが詰まったメールとお写真をご送付いただき、誠にありがとうございます。
 また本誌をご愛読頂いているとのこと、重ねて感謝を申し上げます。
 さて、編集部といたしましてはぜひ一度詳しくお話を聞かせていただきたいと考えています。松井さんがどのような経緯で性的な関心を抱き、そしてSM願望を抱くようになったのか、その詳細をお聞かせ願えればと思います。その上で撮影などのご相談をさせていただきたい所存です。
 つきましては、お電話でも結構ですし、もう一度おメールにて、これまでの経験や性に目覚めたきっかけなどを綴っていただいても結構ですので、お返事をいただけますと幸いです。
 何卒よろしくお願い申し上げます』

 このようなお返事をお送りしたところ、松井さんからは新たな告白が送られてきました。

わたしのマゾ履歴
 お返事いただき、本当にありがとうございます! ぜひ撮影していただきたいです。でも、電話だと恥ずかしくてうまく話せるかわからないので、メールにさせていただきました。
 わたしが性的なことに目覚めたのは小学校六年生のころです。あまりクラスでは目立たないタイプだったんですけど、性的なことにすごく興味がありました。どこで知ったのかは覚えてないんですけど、オナニーの存在を知ってから「わたしもやってみたい」という気持ちがどんどん膨らんでいって、携帯でそういうサイトばかりを検索していました。それでアソコの中にバイブなどを入れることを知り、わたしも何かを入れてみたくてたまらなくなったんです。
 でも、子供でしたし、バイブが手に入るわけがありません。そこで試したのが細長いペンでした。最初はチクっとした痛みがありましたが、いろいろと角度をつけたり、出し入れしていくうちに、だんだんと気持ちよくなっていきました。オナニーを初めてから二、三日目には、はっきりと気持ちいいと感じるようになっていました。
 その頃はエッチな本や小説などを見られる環境ではなかったので、わたしは妄想でオナニーをしていました。
 妄想の内容は当時大好きだったセーラームーンです。セーラームーンが敵に精気を吸われてぐったりしてしまうシーンがあったんですけど、それを見ていて、何だかとてもエッチな気分になってしまいました。すごく気持ちよさそうだなって思ってしまったんです。
 わたしは、そこからさらに怪人たちにヒロインたちが犯される妄想を抱きました。動けなくなったキレイなヒロインたちが、されるがままに痛めつけられ、陵辱されて、そのまま果てる。そんな妄想をすると、アソコはすぐにびしょ濡れになっていました。
 それから中学生になると、携帯でSM体験談が書かれているような掲示板を見るようになりました。そこには皆さんが野外露出だったり、辱められている体験談などが綴られていて、読んでいるだけで、自分が経験しているような感覚になって、オナニーに没頭していました。
 実は、わたしも一度だけ掲示板に書き込んだことがあります。「調教募集」などの欄もありましたが、まだそこに投稿する勇気はなかったので、「大人のオモチャが買いたいので、一緒に連れていってくれませんか?」と募集をしてみたんです。

この続きは、マニア倶楽部2021年7月号をご覧ください。

[MC202107]お母さんはお願いすれば何でも聞いてくれる僕のセックス奴隷となったのです

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美しい母を奴隷にしてしまった男性の告白 ※DVD収録

告白 石野カズ(仮名)

エロいお母さん
 お母さんを「女」として見たのがいつ頃だったのかは、僕自身の中でもはっきりしません。それはもしかすると、物心ついた初めからだったのかもしれません。お母さんは、十九歳の若さで僕を産んでいます。
 小学校の一、二年生になる頃には、自分のお母さんが周りの友達のお母さんよりも若くて綺麗だということを意識していました。当時お母さんはまだ二十四、五歳だったろうと思います。僕もそんなお母さんが自慢で、大好きでした。
 今でも鮮明に覚えていることがあります。ある夏の日、友達数人と歩いていたときです。
「カズくーん」
 僕を呼び止める、耳慣れた声がしました。歩いている道のかなり先の方で、お母さんが僕を見つけて手を振ったのです。
 お母さんはジーンズのホットパンツに明るい水色のタンクトップで、真っ白な麦わら帽子を被っていました。そのような健康的でアクティブな装いをすることが、お母さんは割と多くありました。
 その時、一緒にいた友達の一人がこう口走ったのです。
「カズのママって……何かエロいよな」
 周りにいた友達も笑いながら同意しました。それを聞いたとき、それまで何とも思ってなかったお母さんの軽装が、突然恥ずかしくなってしまったのです。
 そしてお母さんのそんな姿を人に見られたくないと思ったのです。

 友達にいやらしい目で見られることでお母さんが汚されていくような、そんなもやもやした気持ちになってしまったのです。
 それだけではありません。
 言葉にこそ出しませんでしたが、僕自身も、お母さんの姿をエロいと思ってしまったのです。
 直視してはいけないような艶めかしさを幼心に感じました。
 ある時、やはり夏の日でしたが、こんなこともありました。
 友達とその母親たちと、数人で近場の海に行ったのです。
 僕のお母さんはその年に流行った赤いパレオの水着に、この時もあのお気に入りの明るい水色のTシャツを重ね着していました。
 友達の母親と比べても、僕のお母さんはやはりいちばん若く、いちばん綺麗でした。
 他の母親たちが浜辺でまったりしている間も、僕のお母さんだけは僕や友達と遊んでくれました。
 相撲のような遊びになって、その時、友達の一人がふざけて僕のお母さんに抱きついて、砂浜に押し倒したのです。
 その時に、お母さんが上げた軽い悲鳴のような声に、僕はドキッとしてしまいました。
 濡れたような、泣き声と笑い声が混じったような、日常生活では聴かない声です。
 笑いながら起き上がったお母さんはすぐにいつもの調子に戻って友達にやり返して、砂浜に逆に押し倒していました。
 しかし僕はその光景を直視することができませんでした。
 胸の奥の重苦しいもやもやに、吐き気さえ覚えました。
 お母さんの太ももにべったりと付いた砂を今でも鮮烈に覚えています。お母さんが、友達に体の接触を許し、二人がひっつきながら倒れる姿や、倒れたときのお母さんの悲鳴、そのあとの楽しそうな声に激しく感情を揺さぶられ、嫌悪感のようなもやもやで泣きそうになりました。
 この二つの出来事が大きなきっかけとなって、僕はお母さんを一人の女性として見るようになってしまったように思います。
 それ以降ことあるごとに、お母さんと自分以外の男の接触に異様な感情を抱くようになりました。
 その「男」の中には自分自身の父も含まれていたのです。

お母さんとのスキンシップ
 自分がマザコンに育ったことは、自覚しています。
 小学五年生の途中までお母さんとお風呂に入っていたし、スキンシップも多かったと思います。父が仕事の都合で家を空けがちだったのは幸福でした。それでなければ、僕はもっと父を憎んでいたと思います。
 父が不在の間、僕は思う存分お母さんを独り占めできました。
 一緒だったのはお風呂だけでなく、布団もです。父がいないときにはお母さんの布団に一緒に寝るのが、暗黙の了解でした。
 今思えば布団の中でお母さんに抱きつきながら、おちんちんをすりつけていました。それが気持ちよくてたまらなかったのです。
 精通も、そんな「おちんちんすりつけ」の最中に、たぶん迎えたのだと思います。
 当時はおしっこを少し漏らしたという感覚でした。パンツの中でおさまって、パジャマまでは染みなかったので、お母さんには内緒にしていました。
「お母さんのこと、好き?」
 眠りにつく前、お母さんはよく布団の中で僕にそう訊ねました。
「好き」
 僕が答えると、お母さんはほっぺやおでこ、ときには唇に軽くキスをしてくれました。自分からも同じようにキスをしました。小学六年生の夏からは、お母さんと一緒にお風呂に入らなくなりました。そのきっかけは、自分に陰毛が生えてきたことです。
「ママ、生えてる!」
 自分の股間に生えた産毛に気づいて、お母さんに見せました。
 お母さんは笑っていました。でも僕はそのあと急に恥ずかしさが募って、「誰にも言わないで」とお母さんにお願いをしました。
 そしてその晩からは、一人で入浴するようになったのです。
 それでも、一緒に寝る習慣は中学一年まで続きました。
 中学時代、友達との会話で僕が「お母さん」という言葉を使ったら、笑われました。
「『お母さん』って何だよ」
 そう馬鹿にされたのです。
 急に恥ずかしくなって、それ以降、お母さんとスキンシップをとることが自分の中で気まずいことになってしまいました。
 その後は、以前のように甘えることは極端に少なくなりました。しかし本心では変わらずお母さんの肌に触れたかったのです。
 スキンシップを求める心は、歪んだ形で暴走しました。
 家の脱衣所にあるお母さんのパンティやブラジャーなどの匂いを嗅ぐようになったのです。
 セックスの存在を知ったのはその頃でした。でも同年代の女の子には全く興味がわかず、お母さんと裸で抱き合うことばかり妄想していました。
 パンティの匂いを嗅ぐ習慣はエスカレートし、脱衣所でオナニーをするようになりました。
 精子は手に出して、そのまま洗面所や風呂に流しました。でもときどき、お母さんのパンティに出すこともしました。すごくいけないことをしている感覚に頭がぼーっとしてしまうこともしばしばでした。
 脱衣所の外にお母さんの気配を感じるだけで、たった今出したばかりなのに痛いほどペニスが膨らみました。
 お母さんと素直に接することができない分、中学生時代に欲望がねじれてしまった気がします。
 高校生くらいになると気恥ずかしさが消えて素直になって、またお母さんと話しをしたり、触れ合えるようになりました。
 スキンシップもまた増えました。ちょうどそのタイミングで父が単身赴任になったのです。

募る想い
 お母さんと再び自然に接するようになりつつ、隠れた異常な行動はエスカレートしました。
 お風呂に入る前にお母さんのパンティでオナニーするのが日課になり、湯船に浮かぶお母さんの陰毛を口に含むようになりました。
 明らかに、父が不在になったことで欲望に歯止めが利かなくなっていたのです。夜中にお母さんの寝室に忍び込み、お母さんの顔を見ながらオナニーもしました。僕は一計を案じました。事故を装い、寝る直前に布団にジュースを大量にこぼしたのです。
「しょうがないから、今日はお母さんの布団で寝させてよ」
 僕がそう言うと、お母さんは困った顔をしながらも受け入れてくれました。久しぶりのお母さんとの添い寝は、もの凄く興奮しました。
 僕は体を密着させました。
「何だか懐かしいね」
 僕がそう言うと、お母さんも嬉しそうに笑ってくれました。
 お母さんが寝た後は、お母さんの匂いを思いっきり吸い込みました。石鹸の香りが混じる体臭に、ペニスが限界まで興奮しました。
 そのままお母さんの顔を見ながら息を殺してオナニーしました。気持ち良すぎて、あっという間に射精してしまったのです。
 リビングでお母さんがキッチンにいる姿を見ながら死角になるようにオナニーしたり、お母さんの入浴中に脱衣所でシャワーの音を聞きながらオナニーもしました。
 朝、お母さんがトイレでうんちをした後にすぐ入って残り香を嗅いだり、使用後の生理用ナプキンを舐めてオナニーもしました。僕のお母さんを求める欲望は止まりませんでした。
 そして自然とネットで近親相姦の掲示板などにアクセスするようになったのです。

この続きは、マニア倶楽部2021年7月号をご覧ください。

保護中: [MC202109]定期購読限定

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[MC202109]震えるほど怖いはずなのに、どうしてもご主人様のもとを離れられないのです。

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マゾ性癖を捨てられなかった看護師の告白 ※DVD収録

告白 ミミコ(PN)

病院と、痴漢と
 私という女は、いつからこんなに歪んでしまったのでしょうか。ときどきそう思うのです。
ふつうになりたい、まともになりたいとずっと思い続けているのに、どうしても異常な性行為に惹かれてしまうのです。
 逃れられないのでしょうか、それとも自分から地獄に堕ちているのでしょうか。それが自分でもわからないのです。
 私にはご主人様がいます。そして今、その方からひどい仕打ちを受けようとしています。
 逃げようと思えばできるのかもしれません。でも私はそうしないのです。それは私が真性のマゾヒストだからです。

 私がマゾになったのは、一体いつからなのでしょう。
 子供時代の私は病弱で、物心ついた頃から病院通いの毎日を送っていました。子供は病院が嫌いと相場が決まっていますが、私は違いました。
 お医者さんに服を脱がされて体に触れられることが、何ともいえず気持ちよかったのです。
ピカピカ光る医療器具や薬品の匂いも私にとっては心地よいものでした。あんな器具や薬の実験台に自分がなることを妄想し、人知れず興奮しているような変な子どもだったのです。
 そして、中学時代に決定的な出来事が起こりました。
 電車通学だった私は、痴漢のターゲットにされたのです。
 この頃にはもう私は病気がちではありませんでしたが、病院通いの影響なのか、内向的でうつむきがちな子に育っていました。そんな大人しい私はきっと痴漢から格好の獲物に見えたのではないかと思います。
 同じ人が、毎朝同じ車両で私の制服のスカートの中に手を忍び込ませてきました。
 もちろん初めはショックでしたが、私は車両を変えることもせず、毎朝黙って自分の肉体をその痴漢に差し出したのです。
 自分でも理由はわかりません。ただこんな理不尽な行為に胸が高鳴って、性的なドキドキを得ていたのは事実です。
 その痴漢の男性も、飽くことなく私を触り続けました。その指先の感触を、私はいまでも思い出すことができます。
 パンティの上からお尻をたっぷり、熱く火照るほど撫でまわした後、手を前に回して下着の中に指を忍ばせるのです。
 周囲には大勢の人がいるのに誰にも気づかれないまま、自分の体が慰みモノになる。それがたまらなく背徳的で、私の幼い性器は蜜を溢れさせました。
 事後に駅のトイレで着替えるために、替えのパンティを持参するほどだったのです。
 やはりこれは、病院通いをしていた幼少時に、他人の手で肌に触れられる快感を知ってしまったからかも知れません。
 そして夜になると、医療器具を使ってその痴漢の男性に犯される妄想でオナニーしました。
私の破瓜は、男性との性行為ではありません。両親に内緒で手に入れた医療用のクスコ(膣鏡)を使ってオナニーしていて、気がついたら出血していたのです。高校一年生の秋でした。

薬剤師の変態調教
 そんな「医療フェチ」だった私は、学生時代のバイト先にも薬局を選んだのでした。
 そしてその薬局にいた薬剤師の男性こそ、後のご主人様になる男性でした。
「仕事の後、時間ある?」
 そう話しかけられた私は内心「またか」という感じでした。
 無口で無抵抗なタイプに見える私は学生時代から御しやすいと思われるのか、男性から誘いを受けることが意外なほど多かったのです。
 ですが私を満たす男性はいませんでした。
 ベッドに入るとかそんなことではありません。それ以前の会話だけで醒めてしまうのです。
 私の中の暗い内面を見抜いた男性が、いなかったのです。
 ですから私はこのときも、社交辞令のつもりで、男性と飲みに行きました。でもそれは、私の誤算だったのです。
「××さんはマゾヒストだね」
「えっ、なっ」
「それも強い嗜虐性をもっている。ハードマゾ」
 注文したアルコールがテーブルに運ばれると、彼はそう切り出しました。
 私は自分がそんな素振りを見せたことがあっただろうか? と不安な気持ちになりました。
「決めつけないでください」
 男性の一方的な話し方に、私も反論します。
「でも、ボロボロにされたいのは本当だろう?」
「……そんな事はありません!」
「××さんは気づいて無いかも知れないけれど、時々、見えるんだよね」
「……」
「自身のなさから来る優柔不断なところとか……」
 私はゴクッと唾を飲み込みました。
「この前も、××さんは全く悪くないのに、Aさんに強く言われて、すぐ謝罪していたよね」
「……」
「ほら、今も僕に断定されると」
 突然、手首を捕まれました。強く握られました。捕まれた手首が熱くねつをもって、ジンジンと痺れてきました。
「イヤなら」
 彼が私を見つめています。私は眼を反らしたいのに、なぜかそらせません。
「手をふりほどいてごらん」
 囁くように耳元でそう言われ、私の心臓は早鐘のように鼓動を打ち始めました。

この続きは、マニア倶楽部2021年9月号をご覧ください。

[MC202109]どんなに恥ずかしいことにも耐えます。あなたに全てを捧げたいのです。

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奴隷の悦びに目覚めてしまった箱入りお嬢様の告白 ※DVD収録

告白 麻衣(PN)


 マニア倶楽部編集部の皆様、初めまして。私は麻衣という名の大学二年生です。十五歳年上のご主人様がいます。
 今日この手紙とともに送るのは、私の調教の記録です。このような写真を人の目にさらしていいのだろうか、とずっと悩んでいます。どんなふうに受け止められるのか、想像するだけで震えるほど怖いです。
 写真と動画でしていることも、人に見せて良いものだとは思えません。それでも私は、どんなに悩んでも投稿すると決めました。それがご主人様の命令だから、喜んでもらいたいからです。
 ご主人様は、十五の年から五年間思い続けた人です。
 もちろん中学生の私はSMというものが存在することも知りませんでした。私がなりたかったのは彼女であり、奥さんであり、でした。
 そして自分がそうなるとしたら、相手は長谷川さんしかいないと思っていました。長谷川さんが今のご主人様です。

男性の匂い
 私の父は専門書を扱う出版社を経営していました。小さな企業ですが、当時は立て続けにノウハウ本が当たり、それなりに繁盛していました。
 父は典型的な昭和の経営者で部下の面倒見がよく、若い社員を家に呼んでは食事やお酒を振る舞っていました。独身の男性社員などは母の手料理を喜び、そんな日は私も母を手伝って煮物や炊き込みご飯を作りました。
「麻衣ちゃんは料理が上手だね」
「将来、良いお嫁さんになるよ」
 と皆さんほめてくれましたが、私は長谷川さんという営業さんがおいしそうに食べてくれるかどうか、そればかり気にして見ていました。
 長谷川さんはスポーツから海外文学まで話題が豊富で、話が面白く、母や弟は「ハッシ―」と呼んでいました。
 でも、私は「ハッシ―」はもちろん「長谷川さん」と呼ぶのもためらっていました。名前を呼んだら、男性として惹かれていることがばれてしまうような気がしたからです。
 父が仕事の話で若い人を叱るようなこともありましたが、そんな時長谷川さんは必ず後輩をかばい、励まします。ふだんは明るく楽しいお兄さんですが、頼りがいのある人なんだなあと、私はますます夢中になりました。
 将来結婚するとしたら長谷川さんがいい、そうでなければ一生独身でいよう、とひそかに心に決めていました。
 私はどちらかと言えば潔癖が強く、母はいつも、
「麻衣は奥手で結婚できないのでは」
 と心配していました。私は性的なことにあまり興味がありませんでした。
 学校は中高一貫の女子校なので、みんな教室でエッチな話をします。男子の目がない分、女子校のほうがオープンかも知れません。
 中学の休み時間のことでした。
「ゆうべ自分のアソコ、見ちゃった。超グロかった!」
「マジ? どうやって見んの?」
「こうだよ、こう!」
 と、机の上に乗って大股を広げ、鏡に映すポーズを取る友だちにみんなは大爆笑。私もいっしょになって笑いましたが、自分のそこを見ることは絶対ないだろうと思いました。
 恥ずかしい、グロテスクな自分の体を認めたくない、そんないやらしいポーズを取りたくない……様々な気持ちがごちゃ混ぜになって襲ってきて、想像するのもつらいという感じでした。
 そんな私ですから、母の言うとおり結婚はむずかしいかも、と感じていたのです。でも、長谷川さんなら……そんな私を許してくれるのではないか、という期待がありました。
 高校になってからは、潔癖がすぎる自分についてネットで調べたりしました。自分でも心配だったからです。
 世の中には誰にも性的魅力を感じないアセクシュアルと呼ばれる人たちがいることを知り、私もそうなのかな、と思うようになりました。だとしたら、恋愛も結婚もむずかしいだろうと絶望的な気持ちになりました。
 でもある日、酔った長谷川さんが始発まで仮眠していった時のことです。翌日、母に言われた私は長谷川さんの寝ていたリビングを片付けました。
 リビングに入ると、男くさい匂いが鼻をつきました。父や弟のそれとは全然ちがう、ずっと濃い匂いです。
 もっと嗅いでたい、この匂いに包まれたい……。
 長谷川さんが掛けていたタオルケットを手に取ると、さらに強く男の匂いがふわっと広がり、私は思わずタオルケットに顔をうずめていました。
 土曜日で学校は休みでした。母に見つからないように長谷川さんの使ったタオルケットを自室に隠し、毎夜それにくるまって眠るようになりました。
 自慰はしませんでした。自分のあそこに触るのは怖かったので。でも、長谷川さんの肌の匂いに包まれていると興奮して、それだけで幸せでした。
 私は自分の体に対して臆病で、恥ずかしがりなだけで、アセクシュアル(編集部註/恋愛感情の有無にかかわらず他者に対して性的な欲求を抱かない指向)ではないとはっきりわかりました。タオルケットじゃなくて、長谷川さんの肌にふれたい、直接ふれたい、と思ったからです。

この続きは、マニア倶楽部2021年9月号をご覧ください。


[MC202109]可憐なルミに性の奉仕実習をさせています。このまま孕ませて愛奴妻にしてしまいたいです。

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19歳年下の女子大生を愛奴飼育する男性の告白 ※DVD収録

告白 竹山進一(PN)


女学生をメイドに
 私は某私立大学の職員です。今回、初めてプライベートな愛奴との生活を投稿させていただきました。
 愛奴は職場、つまり大学で知り合った相手で「ルミ」といいます。すでに中年と呼ばれる世代にある私にとって、娘でもおかしくない年齢差があり、大学職員として学生と親密な関係になること自体不謹慎なのですが、それを承知で自身のアンモラルなプライベートを告白します。
 大学では昨今の幼保一体化政策にあわせて四年間で幼稚園教諭免許と保育士資格の資格を所得できるようカリキュラムを進めています。
 コロナ禍でルミの実家の旅館業の経営が傾き、学費支払い猶予の相談にきたのがルミと親しくなったきっかけでした。精神的にまいっていたようで、話すうちにポロポロ泣き出し、その可憐ではかなげな雰囲気が正直好みのタイプでしたので、情にほだされてしまったというところでしょうか。
 中年と呼ばれる年代になるまで恋人もいない生活を送ってきましたので、結婚資金のつもりで貯金だけはそれなりにありました。独身一人暮らしの寂しさもあり、つい「僕の家のメイドさんをしてくれたら、援助するよ」と下心を隠しきれない提案をしてしまったのです。
 これにルミが嫌悪感でも示してくれたら不謹慎な誘惑をした自分自身を恥じる事で終わったはずですが、彼女が救いの神を見るような目で私を見上げてくれたのですから、悪事を犯す鼓動の高まりが一瞬で喜びのそれに変わりました。

 アルバイトを辞めて毎日私の家に掃除に来るようになったルミ。もちろん、バイト料は以前のコンビニバイトの倍以上は提示していました。その先の「お小遣い」という特別バイトのギャラまで、私は心の奥に隠していたことを自白します。
 いや、ルミもぼんやり想像はしていたようです。こんな中年男の部屋に出入りするのを躊躇なく受け入れたのですから……。
 そして、それはすぐに確信に変わりました。
 通いメイド生活が一週間ほど経ったある日のこと、掃除中に隠しておいたSM雑誌をルミに見つかってしまったのです。
「Kさん、こういうの興味あるんですか? こういうことしたらもっとお金くれますか?」
 真顔でそう言われたとき、私は強い口調で彼女を叱りました。胸の奥に秘めたいかがわしい妄想を指摘されたからで、図星だったからこそキレたのです。
 ただ、その後のルミの告白が私の怒りを興奮に変えました。
「ごめんなさい、実は私、こういう事に興味があって……」
 以前にも掃除中にSM雑誌やDVDを見つけており、気付かないふりをしていた。私がそういう行為に誘ってこないかと密かに期待していた。お金というのは言い訳ときっかけで、お金目当てで言ったわけではない等、目に涙を浮かべて訴えるのです。
 まだ彼氏もいない女子大生が、なぜそんなインモラルな世界に興味を持つようになったのかと聞けば、幼い頃の体験だとルミは告白してくれました。

お人形さんごっこ
 よく遊びに行っていた隣町に住む従兄に、小学校低学年の頃、エッチな遊びをされたことが甘いトラウマとして性的趣向を支配しているというルミ。
 二つ上の従兄がよくしたのが『お人形さんごっこ』と称したエッチな遊び。
 一方がお人形さんとなり、ぐったりと身体の力を抜いて横たわる。そして一方的に悪戯をされるのがルールだそうです。
 ほとんどルミがお人形さんになって従兄に好き放題弄ばれる。相手もまだ子供なので、その行為は単純に少しエッチな遊びにすぎなかったようですが、幼いからこその生々しさもあったようです。お人形さんになると喋っても動いてもダメ。ただされるままでいる。
 従兄はお人形さんに話しかけながら「じゃあ服を着せ替えさせてあげるねー」と横たわるルミの身体からスカートやブラウスを取っていく。このときルミは、幼いながらも熱い胸の高ぶりを覚えたといいます。
 従兄もルミと同じく友達が少ない子で、奥手な男の子でした。
 二人の共通点は、学校では仲良しと呼べる子がおらず、一人遊びばかりしていた内気な子供。それがエッチな遊びを通して秘密を重ねていきました。
「ああ、今日はストライプ柄のパンツだね。可愛いパンツ穿いてるな、このお人形さん」
 おままごとでもしているかのような甘い口調で、従兄が幼いパンツを下げる。まるでオムツを替える赤ん坊のように両脚を持ち上げられて、つま先からヌキ取る。
 ルミのぷっくりとした無毛のワレメが丸出しになり、オムツポーズでお尻の穴まで丸見えになる。それを従兄は「可愛いお尻の穴してるなあ、このお人形さん」と楽しそうに笑う。
 ルミは薄く瞼を閉じて、下半身裸にされた恥ずかしさを幼いながらも性的な高ぶりに昇華させていたそうです。
 ぐったりと手足の力を抜いてお人形さんになっているルミの手足から、ブラウスも肌着も脱がしてしまう従兄。とうとう丸裸にされてしまうと、ルミも下腹部の奥がじんわりと火照った。
 従兄は幼い少女の薄っぺらな胸を撫で、キスをして、桃色のワレメを指で広げたりする。
「このお人形さん、少しオシッコの匂いがするから、オマ○コをムキムキしてあげよう」
 ぽってりとした幼いワレメを拡げる行為を従兄は「ムキムキ」と呼んで面白がった。
 男の子にしてみれば、ただ肉が合わさっただけの女の子の性器が、その内側に生々しい肉のうねりを隠している事が興味深かったらしく、かならず裸にすると「ムキムキ」をしたとか。
 自分がいちばん見られたくない部分を指で大きく拡げられるのが、当時のルミにも絶望的な羞恥を感じさせたという。

この続きは、マニア倶楽部2021年9月号をご覧ください。

[MC202109]再会した幼なじみにSMの世界へ導かれた私ははやくご主人様が望む奴隷になりたいのです。

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奴隷として生きていく決意をした清楚Mの告白 ※DVD収録

告白 友紀子(PN)


 はじめまして。私はSさんというご主人様に舐め犬奴隷として調教されています。今回は憧れだったマニア倶楽部に掲載していただけると聞いて、ご主人様と一緒にとても興奮しています。ご主人様はわざわざ私のためにレンタル調教の手配までしてくれました。
 ご主人様との出会いは、3年前に遡ります。某SMイベントで出会いました。そのイベントには友人の美津江(仮名です)と来ていました。
 当時、私は調教された経験がなく、見た目もかなり地味です。それに比べてSMクラブに勤めている美津江は、グラマラスで目立つ存在です。だから、SMイベントなどに行くと、美津江ばかりに声がかかります。美津江にはM嬢のオーラみたいなものが生まれつき備わっているようにも思います。ご主人様に声をかけられたときも、てっきり興味があるのは美津江なんだろうと思っていました。
 でも、お話をするうちにご主人様の人柄に惹かれていく自分に気づきました。少し素朴でSMイベントに来てるような変わった雰囲気がなくて、でもいろんなことを知っている人でした。たぶん恋心に近い感情を抱いたのかもしれません。でも、今までとは違ったのは、「好き」というよりも「調教してほしい」という想いの方が強かったことです。

 この人に調教されてみたい。ご主人様と過ごす時間が長くなればなるほど、その想いは強くなっていきました。
 でも、美津江はトークも上手なので、私の出る幕はありません。きっと美津江にアタックするんだろうなって思っていました。そんなとき、ご主人様が用を足しに行っている間に、美津江が思いも寄らないことを言い出しました。
「あの人、たぶん初めてなんじゃないかな? きっとご主人様の経験もないと思うよ」
 SMに関しての美津江の勘はいつも当たります。その話を聞いて、私のご主人様への思いはより強くなっていきました。どうして、あの人はこのイベントに来たんだろう。誰かを調教してみたいのかな……そんな考えがぐるぐると頭の中を巡っていました。そこで、勇気を出して美津江に相談したんです。
「あの人に調教されてみたい」
 すると、美津江は今にも飛び出しそうな大きな目を、もっと見開いて言いました。
「え! 本当に? 〇〇(編集部注:友紀子さんの本名が記載されておりましたので、編集部にて伏せ字にさせていただきました。以下同様です)がそんなこと言うなんて、よっぽどだね。じゃあ、私がアシストするから、3人で連絡先交換して、仲良くなろう」
 こういうときの美津江は誰よりも頼りがいがあります。派手でルックスもスタイルも魅力的な美津江の誘いに応じない男性なんていません。
 彼女が狙った男性を落とせないとこなんて見たことなかったですから。
「あのぅ、Sさん。よかったら3人で連絡先交換しません?」
「ぜひぜひ!」
 ご主人様はとてもうれしそうでした。私は初めて会った男性と連絡先を交換する恥ずかしさと、もしかしたら美津江に取られてしまうかもしれないという不安を抱きながらスマホを取り出し、ご主人様と向き合いました。ご主人様もどこか気恥ずかしそうに微笑んでいました。
「じゃあ、近いうちにご飯でも食べに行きましょう!」
 横から言った美津江は、私の方を見て少し肩をすくめました。その仕草を見て、私は美津江に少し嫉妬を覚えました。

幼なじみの監獄
 美津江と私は幼稚園からの幼なじみです。そして、私たちはその頃から性的な関係でした。かつての私は、何にでも興味を抱く好奇心旺盛な子でした。最初は、公園の脇で二人でおしっこをしたり、キスをしたりして、イタズラをしてるだけでした。どういう経緯かは忘れてしまいましたが、私は自分の性器に小さな突起があることに気づいてしまったのです。今ならわかるけど、当時はそれがクリトリスだとは知りませんでした。
 少し触れるとピリピリとしていい気持ちになったので、美津江に教えてあげたくなったんだと思います。私は、いつも遊ぶ公園の裏手にある木陰で、美津江のクリトリスを弄りました。子供の頃だったので、加減というものを知らなかったのです。美津江も最初のうちは楽しそうにしていたのですが、何度も何度もいじっているうちに、美津江が次第に顔を紅潮させて震えだし、泣き出してしまったのです。それがオーガズムだったかどうかはわかりません。でも、私は泣いている美津江を見て、何だかとても悪い気持ちになったことを覚えています。それから、他人のクリトリスを触るのはダメなことなんだと思うようになりました。
 でも、美津江はちがいました。私も知らないうちに、自分でクリトリスをいじるようになっていたんです。初めて美津江のクリトリスをいじってから1週間か2週間した後、私は美津江に連れられて、またあの木陰に行きました。すると、美津江が言いました。
「今度は〇〇ちゃんの番」
 美津江は私のスカートからパンツまで全部引きずりおろして、クリトリスをいじりました。それどころか膣の中に指を入れてきたのです。
「私ね、知ってるんだよ。こういうのって本当はお父さんとお母さんがするの。だって、私見ちゃったんだ。こうしてるといっぱいおしっこが出るんだよ」
 美津江はきっと両親のセックスを見ていたんだと思います。潮吹きのようなものを目撃していたのかもしれません。今でも美津江に本当のことは聞けていません。美津江は家庭の話をするのを今でも嫌がりますし、一度も彼女の親に会ったことがないことから、何らかの問題を抱えていたのだと思います。小学生の頃、私が美津江の家にどうしても行ってみたいと言うと、美津江がいつになく暗い顔になって、突き放すように「じゃあ絶交する」と言われたことがあります。それほど彼女にとって家庭の話はタブーなのです。
 美津江との秘密の時間は小学校に上がってからも続きました。当時は私と同じように美津江も地味なタイプでしたので、遊ぶときは常に二人きりでした。どちらかというと、美津江がその状況を作り出していたように思います。美津江は、私がクラスメイトと仲良さそうに話していると不機嫌になりましたし、帰り道で怒鳴りつけることもありました。高学年になるまでは私も美津江のことを大事にしていたかったし、そのままでもいいと思っていました。
 でも、6年生の時、私がクラスメイトの男子に告白されたときから、私の中で少しずつ美津江の作り出した要塞から飛び出してみたいという気持ちが強くなりました。だから、私は美津江には内緒で、その男子と交際を始めたのです。

この続きは、マニア倶楽部2021年9月号をご覧ください。

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[MC202201]私は、眠る夫の横で不倫相手に教えられた 貸し出しプレイ妄想でオナニーする変態なのです。

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3P調教でMに目覚めた淫乱メス妻の告白 ※DVD収録

告白 瑤子(仮名)

 瑤子は私が経営する薬局のお客で、男女の関係になってもうすぐ一年になります。私のSM趣味を理解してくれる得がたいパートナーです。M性も性欲も旺盛な彼女をもっと充たしてやりたくて、ネットで知り合った三〇代の男性とプレイさせました。瑤子が綴った初めての貸出し調教の感想を読んでやってください。

荷物みたいな扱い
 この日は朝からずっと緊張していて、お皿を割ったり、メイクの順番をまちがえて下地クリームを忘れていたり、自分が自分ではないみたいでした。
 うちの方は田舎町なので娯楽が少なく、こっそり不倫をしている人が結構いるのは知っています。都会の人には理解できない感覚ですね。
 寄り合いや祭りで近づいて、しばらくの間仲良くなるみたいな。でも、私はこれまでそういう不倫をしたことがありませんでした。
 褒め言葉だと思うんですが、「都会的だね」とか「こんな田舎には珍しいタイプ」と近所の人から言われます。夫の転勤でこちらに来たので、少し距離を置かれているのかも。
 だから私が不倫していることは誰も知りません。いや、知られていたら困りますが。
 彼との関係はもうすぐ一年になります。
「瑤子、他の人と会ってみない?」
 と言われて、私に飽きたのかなと思いました。でも、
「俺より若い男にやられている瑤子が見たい」
「イキまくっている瑤子を撮影したい。抱き合っていると無理だから、第三者に入ってもらって撮りたい」
 と説得しながら私を抱いている彼は、いつも以上に勃ちがすごくて、本気で言ってるんだとわかり、とうとう彼がネットで面接したAさんという男性と会うことになったのです。

 彼が同じ部屋にいるので安心だったし、私が無理だと思ったら出すサインの言葉も決めていました。
 でも、ホテルの部屋にAさんが入ってくると、怖さはなくて恥ずかしさのほうが勝っていました。不倫相手がいるのに、それでもまだ相手が欲しいと思われているんだろうなと気がついたからです。
 Aさんは三〇代だと聞き、夫と私が三〇代のころのことを思い出しました。当時は子供なんてそのうちタイミングでできるものだと思っていたし、夫も性欲が激しく、結婚したからナマでできるようになってうれしい、そんな感じでした。
 Aさんも細いのにスタミナがすごくて、やっぱり三〇代だなあと思いました。私を拘束したり、鞭でお尻を打ったりしながら、ギンギンにふくらんだトランクスの前をギュッとつかんでいました。興奮してくれているんだ、とうれしかったです。
 Aさんは、SMクラブ以外でSMプレイをするのは初めてだということで、少し遠慮している感じがしました。
 すると彼が、
「もっと本気でやって大丈夫ですよ。彼女、少し痛いぐらいに扱われると濡れるんで」
 と言ったのです。
 そんなふうに、私のことを飼っている動物かなんかのように言うんだ、と思ったらすごく興奮しました。
 そこにAさんの鞭が飛んできて、思わず「ハアッ」と声が出て、お尻を突き出してしまいました。打ってくださいと言っているみたいに。
 彼の足音でカメラが近づいてくるのを感じました。私は今、二人の男性のおもちゃになっているんだなと思って最高に興奮しました。粘着テープでの拘束も初めてでした。Aさんが、
「縛りは自信がないです。瑤子さんにケガをさせたらいけないので、こういうものを買ってきたんですけど、使ってもいいですか?」
 と、カバンの中から出してきたときに、ぜひ使ってほしいと思いました。
「瑤子が良ければ、いいですよ。どう?」
 と彼に聞かれて、あれを巻かれて拘束されて荷物みたいに扱われるんだ、と期待しながらうんとうなずきました。
 彼に麻縄で縛られるのが好きですが、テープもすごく良かったです。拘束テープで全身を固定され、目隠しと猿轡もされている私は「物」みたいでした。
 「物」になって、知らない男性にいじめられるのはすごく興奮しました。
 自分のことは少し欲求不満なだけだと思っていましたが、もしかしたらマゾ性があるのかなと初めて思いました。

この続きは、マニア倶楽部2022年1月号をご覧ください。

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