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保護中: [MC202307]定期購読限定①※今号も特別に動画2つあります!

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[MC202307]排泄する姿を見られるという恥ずかしさが忘れらず、夫を裏切り奴隷になりました。

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恥ずかしい排泄願望を抱えた美形妻の告白

告白 真理子(PN)

編集部の皆様へ。
 いきなりこのような恥ずかしい写真と手紙をお送りして申し訳ございません。人妻スカトロ奴隷の真理子と申します。
 私の飼い主である長岡様から、「真理子がみっともない変態排泄マゾになったきっかけを告白手記にして、マニア倶楽部編集部に送りなさい」
「真理子の変態姿が写った調教写真と一緒に誌面で公開されて、いかに自分が恥ずかしい生き物なのか自覚しなさい」
 と命じられ、今回このようなはしたない性癖を晒すことになりました。皆様が私の淫らで異常な姿をご覧になってどう思うのか……。それを考えただけで私のいやらしい淫乱アナルがジクジクと疼きます。どうかこの手紙を最後までお読みになっていただければ幸せです。

幼稚園の親友の失便
 私は北陸の山深い小さな街で育った田舎者です。
 田舎と言うと都会の方は素朴で純粋な人間ばかりと思いがちですが、そんなことはありません。変質者の数は都会以上に多いですし、陰湿な虐めや異常性犯罪も、世間体から表に出ないだけでよく起こっています。
 かく言う私も、そんな山深い田舎の陰鬱な空気の中で育った性的倒錯者です。
〈自分が排泄している姿を第三者に見られたい〉
〈汚い女だと侮蔑されて嘲笑され、なじられながら汚い穴を弄ばれたり、凌辱されたい〉
 そんな変態的な願望を抱えながら生きる変態マゾなのです。

 私がこんな願望を持つようになったのには、幼少期に経験した排泄にまつわる2つの事件と、高校時代に遭遇した変態カップルの存在があります。
 最初の事件は私が幼稚園の年長時に起こりました、卒園も近付いたある日、親友の純子ちゃんがウンチを漏らしたのです。
 幼稚園も年長になると、おもらしする子はほとんどいなくなります。もうすぐ小学生になるという喜びと自覚から、自然と自立心が芽生えるからです。
 ところが純子ちゃんは、そんな年長時におもらししてしまったのです。それはまるで公開処刑のようなものでした。
 最初は誰か男子が「臭ぇ!」と叫びました。次第にクラス中がざわめき始めて犯人探しが始まると、女の子のすすり泣く声が聴こえてきたのです。
 それは純子ちゃんでした。
 純子ちゃんは真っ白いタイツに茶褐色の下痢便を染み込ませ、不快な排泄臭を漂わせながら立ち竦んでいたのです。
「汚え! 漏らしてるぞ!」
「ウンチ女だ! ウンチ女!」
 年長とはいえまだ自制心などない園児の集団です。純子ちゃんは心無い中傷の言葉を浴び続けながら、この世の終わりのように絶望的な泣き声を上げるしかありませんでした……。
 その時に私が可哀想な純子ちゃんを見てどう思ったのかは、よく覚えていません。でもその後のもうひとつの事件で、私は純子ちゃんのこの姿を思い出すことになるのです。

脱糞姿を視られて…
 それは私が小学5年生の林間学校で起こりました。
 20年ほど前のことなので、私たちが泊まる宿舎も今のような近代的なものではなく、周囲の施設も昭和の遺物のような古めかしさがありました。トイレも水洗式ではありますが和式で汚らしく、しかも男女で分かれていないトイレでした。
 当然女の子たちは皆嫌がりました。でもいくら嫌でも便意や尿意はやってきます。しかも悪いことに、その日の私はお腹の調子が良くありませんでした。そう、あの日の純子ちゃんと同じで下痢気味だったのです。
 小学校の高学年にもなっておもらしなどしたら、もう一生この街では生きていけません。しかもオシッコならまだしもウンチを漏らすなんて……。
 みんながキャンプ場で焚き火や飯盒炊爨の用意をしている中、私はキャンプ場併設のトイレに人がいないか見計らい、すぐに駆け込みました。
〈急いでトイレを済ませてすぐに戻れば大丈夫〉
 時間を惜しむようにズボンとパンツを一緒に膝下まで下ろし、和式便器にしゃがみこみます。
〈ああ……早く、早く出て!〉

この続きは、マニア倶楽部2023年7月号をご覧ください。

[MC202307]マゾの夫に見せつけながら、菜々子を責める……2人を支配する悦びはセックス以上の快楽です

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幼馴染をレズ調教するサド人妻の告白

告白 麻希(PN)

原点
 きっかけは小学生高学年くらいの時に見たアニメのワンシーンでした。
 人には言えませんでしたが、ヒロインの女の子が悪の怪人に捕まってピンチ、というシーンが何故か好きなのでした。
 胸がざわっとして、むずむずとしてくる。その感触が癖になっていったことが私の性癖、サディズムの原点と言えました。
 
 そのときの私はまだまだうぶな子どもでした。三つ編みがお気に入りで、白やピンクのかわいい服ばかり着て、あまり友達も多くない、普通な子どもです。
 私の幼馴染みで二つ下の菜々子ちゃんという女の子がいて、その子は私の住むマンションの部屋の真下に住んでいました。私と外に行くと何度姉妹に間違えられたことか数え切れないくらいでした。私の真似をして同じような髪型や服装になっていて、私にとっても妹のような存在でした。
 そんな菜々子ちゃんの家は両親の帰りが遅くなる日がたまにあって、そのときは私の家で一緒にご飯を食べたりお泊まりをしていました。
 そんな菜々子ちゃんがある日、一冊の漫画雑誌を持って家にやってきました。
 これは拾った物だ、と言っていましたが、何かを隠しているような気がこのときからしていました。
 一緒に読もう、と言われ私もその雑誌を読んでみると、少しというか結構過激な内容の漫画が多く、それまで普通の少女漫画しか読んだことのない私には刺激が強すぎてむずむずする感覚がどんどん大きくなっていきます。
 そしてその雑誌の真ん中あたりの漫画で一旦菜々子ちゃんは手を止めて、この漫画を一緒に読みたかった、と話してくれました。
 それは、私がもっとむずむずとしてくるような内容のお話でした。

 一ページ目からすぐに女の子が縛られ、苦しんでいるシーンで胸がざわめきます。
 菜々子ちゃんもじっくりと興奮するように読んでいて、私が飲み物でも持ってこようかと言っても反応がないくらいでした。
「これ、やってみたいの?」
 私はいつもの調子で少しふざけるように聞きました。
「うん」
 と菜々子ちゃんは小さく頷いていました。
「したいの? されたいの?」
 いじわるっぽく聞きました。それだけで私の奥にある何かが震えました。
 菜々子ちゃんにこういうことをしたい。そんなことを思っていたときに、麻希ちゃんにされたいと菜々子ちゃんはそう言いました。恥ずかしそうにしていることに悦びを感じていることがすぐにわかりました。それほど、彼女は表情豊かでした。
 私は漫画のそのシーンを指さします。
 捕まって、手首と足首を紐で結ばれて、顔を踏まれて苦しそうにしている女の子がいました。
 私はこうしたい。菜々子ちゃんはこうされたい。
 まだ子どもなのに、そういうことに興味を持ってしまったり、一度でも甘い快感を知ってしまったりなんてしたら、誰か大人が止めないとどんどんとエスカレートしていってしまうことは明白です。
 私の髪を結っていたリボンで菜々子ちゃんの手首を。色違いのリボンを出してきて、足首を縛りました。
 想像以上に動けないようで、もぞもぞとする菜々子ちゃんを見て、私はドキドキとしてきます。どんどんと強く、呼吸もうまくできなくなっていくほど。
「やっぱりだめ!」
 菜々子ちゃんがそう大きめな声で言ったのは、怖くなったのか、場を盛り上げるためなのか、それは私にもわかりませんでした。
 はっきりと拒絶されたなら私も諦めがついたのかもしれませんが、菜々子ちゃんは誰がどう見ても、嫌がってはいない表情をしていました。
 それならともっとやろう、嫌と言われるまでなら大丈夫と思い、菜々子ちゃんのスカートを捲ると、真っ白のもこもこパンツ。ほんのちょっとオシッコで染みができていました。おそらく今できた物でした。
 触ってみたい、オシッコのことを言ったら菜々子ちゃんはどんな反応をするのだろうか。なんて、いろんなことが頭に巡ります。
「菜々子ちゃん、パンツ汚れてるよ。恥ずかしいね」
 相当恥ずかしかったのでしょうか、菜々子ちゃんの顔が赤くなっていました。オシッコで作られた染みを私は触ると、菜々子ちゃんはあん、やん、と甘ったるい声を漏らします。
 くすぐったさもあるのでしょう、もぞもぞと身体を捻ったりする菜々子ちゃんをもっといじめたいという気持ちが私を支配していきます。
 本気で嫌がることをするのではなく、私も菜々子ちゃんももっともっとエッチになっていけるようにと、幼い私はそんなことまで考えていました。
「そんなに動かないで」
 軽く、驚かせるくらいの力ではありましたが、菜々子ちゃんの頬をはたいてしまいました。
「ごめん!」
 私はすぐにそう謝りましたが、菜々子ちゃんは痛いのは一瞬だけで、すぐにうっとりとした表情になっていました。

この続きは、マニア倶楽部2023年7月号をご覧ください。

[MC202307]彼を裏切り、異常な快楽に甘い悲鳴を上げる私は、正真正銘のゴミの変態女です

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婚約者を裏切り被虐を求める令嬢の懺悔 ※DVD収録

告白 薫(PN)

狭間の亡霊
 小学校低学年ぐらいの頃だったと思います。特に大きなきっかけがあったわけではなく、ただ漠然と違和感を感じていました。得体の知れない恐怖を感じていたようにも思います。
 当時はこんなふうに言語化できるわけもなく、図書館で妖怪や悪魔といった古今東西の怪異な物語を読み耽っては、存在するはずのないものに対する恐怖に戦慄していました。
 正体不明の違和感は、成長するにつれて肥大化して、私の自由を奪っていきました。それに反するようにして、周囲からは「文句を言わない良い子」だと言われるようになっていました。親族たちが子どもを叱るときは、こぞって「薫ちゃんのようにしなさい」と諭したものです。特にばつの悪い感情を抱くことはありませんでしたが、逆に優越感に浸るようなこともありませんでした。たぶん、何事にも従順でいることしかできなかったからだと思います。言いつけを守るのは当然のことでした。
 誤解を招くかもしれないので少し補足しておくと、やや厭世的な一面はありますが、決して無感情というわけではありません。楽しいことがあれば笑いますし、悲しいことがあれば泣くこともあります。多くはありませんが人並みに友人もいて、集団行動も苦手ではありません。ずっと普通に「いい子」でいたように思います。演じている気もありませんでした。
 中学時代に生徒会で一緒に過ごしたKとは、お互いに結婚した今でも連絡を取り合う仲です。
 私は不思議と周囲の人に恵まれてきました。婚約者とはお見合いで知り合いましたが、気遣いが上手で、私のことをとても大事にしてくれています。愛されている、とも感じます。自他ともに認める順風満帆な人生を送っていると思います。
 ただひとつだけ、どんなに幸せであっても、違和感がつきまとっていたことだけは、私と周囲の人々の間に立ちふさがる壁となって、いつも私を隔絶していたのです。
 婚約してから、その壁はだんだん迫ってくるようになり、これまで漠然としていた違和感が、真綿で首を絞めるようにじっくりと、でも確実に私を苦しめるようになったのです。

三十路で覚えた性衝動
 幸せを強く感じれば感じるほど、それとは裏腹にひどく乱暴で暴力的な感情が湧き出すようになりました。
 私は、私を、壊したい。
 それは私が生まれて初めて覚えた強く衝動的な欲望でした。体の隅々まで燃え上がるような感情に、私は戸惑い、翻弄されました。考えがまとまらなくなり、普段何の気なしにやってきた家事さえ手につかなくなることがありました。
 でも、私に自分を壊すことなどできるはずもありません。私は幸せを享受しているし、同時にこのまま生きていたいという願望も強く抱くようになっていたからです。
 幸せにしがみつく願望と破壊を求める願望の矛盾した二つの欲求が相対しながら、お互いに強く成長していたのです。相反する二つの勢力はどちらかが強くなると、再び他方が盛り返し、拮抗を保っていました。私は、その狭間で翻弄され続けていたのです。

この続きは、マニア倶楽部2023年7月号をご覧ください。

[MC202307]バージンのまま縄の歓びに陶酔してしまう私は恥ずかしい変態女です

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縛られることに憧れ続けた処女女子大生の告白

告白 花音(PN)

奥手だった幼少期
 処女なのに奴隷というのはおかしいでしょうか? でもこれが私という人間なのです。
 私が、二十歳になるこの年齢まで処女だったのにはいろいろ理由があります。性的に、極端に奥手だったというのも理由の一つです。自分で言うのも変ですが、私は幼い頃からお行儀のいい子で学校の成績も優秀でした。逆に言うと、お行儀よくしかできなかったのです。そしてそれが、私のコンプレックスでした。他の女の子のように当たり前に奔放に生きることが、どうしてもできなかったのです。
 そんな自分自身を、私はもどかしく思っていました。
 学校で、友人が異性と話をしている。ただそれだけで、すごいなあ、と思っていました。
 異性からまったくもてなかったわけでもありません。でも、当たり前に話をしたり、交際したりということが、私にはこの年齢までできなかったのです。

 小学校の高学年の頃に、上の学年の男の子から突然、告白されたことがありました。そのときの感想は、びっくりしたし怖かったという感じでした。
 それから何人かの男子に告白されましたが、私はすべて断りました。何を話せばいいのかわからないし、男女の交際のその先というものがよくわかっていなくて、怖かったからです。
 中学校一年生のとき、自分と似たタイプの真面目な優等生の男子に告白されました。
 その子に対しては私も好感を持っていたので、思い切って付き合ってみることにしました。
彼は真面目で、子供ながらに私に対して紳士的に、優しく付き合ってくれました。
 ですが、彼といっしょにいても、どうしても違和感を覚えてしまうのです。居心地の悪さを感じてしまうのです。
 自分でも、その違和感の正体がわかりませんでした。彼のことを、人間としてはまったく嫌いではないのです。それどころか、自分と同じタイプの人間だと、好感を抱いていたのです。それなのに一緒にいて気持ちが醒めてしまう自分自身に戸惑いました。
 その理由はのちのちになって明らかになるのですが、思春期の私にはどうしてもわからず、人知れず悩み続けたのです。

緊縛への憧れ
 その初めての異性との交際と前後して、私は親からスマホを持つことを許されました。
 当時は若い子たちの間でインスタが流行しはじめていて、私も友達と一緒に登録しました。ネットの世界は、私にとっては未知の世界でした。
 雑多な情報が溢れすぎていて最初は恐怖心もあったのですが、少しずつ興味本位でいろいろな世界を覗いていきました。
 その中で、私は縛られた女性の画像を見てしまったのです。いまでも覚えていますが、和服の女性が、和室の中で縄で吊り下げられている画像でした。
 艶やかな、綺麗な着物に身を包んでいるのに、女性の顔は苦悶に歪んでいました。でもただ苦しんでいるだけではなく、何か陶酔しているような……一言で言い表すことができないような素敵な表情だったのです。
 最初に見たときには、全身に衝撃が走りました。他の気持ち悪い画像が出てきたときは目を逸らしていたのに、その縛られた女性の画像からは目を背けることができなかったのです。
 心臓がどきどきしただけでなく、体が熱くなりました。熱くなっているのは、下着の奥……下半身の芯の部分です。
 私はその画像を見た日の夜に生まれて初めてオナニーというものをしました。自分自身がその女性と同じように縛られているところを想像して、あそこに触れた指を少しずつ少しずつ強く、激しく、動かしていったのです。
 自宅のベッドの上だったので、声が出そうになるのを必死でこらえて手で口を塞ぎながら、何時間もそうしていたのです。
 性的に奥手だったと言っておきながら、いきなり緊縛に興味を持つなんておかしなことだと思われるかも知れません。でもそれが私だったのです。
 私は悩みました。こんないやらしい、異常な女の子が恋人と付き合うなんて、悪いことだと思ったのです。私は意を決して彼に交際を続けることはできないと伝えました。
 彼は驚いたと思います。ずっと献身的に私に接してくれていたのに、いきなり一方的に別れを告げたのですから……でも、もちろん、その理由を話せるわけがありません。
 けっきょく、彼とはキスどころか手をつないだことさえなかったと思います。交際したと言えるのかどうかも、よくわかりません。
 そしてそんなことがあってから、私は異性に対してそれまで以上に距離をおくようになりました。その後は、男子に告白されてもすべて断りました。それと反比例するように私は緊縛画像や、緊縛された女性の体験談などをネットで漁るようになりました。そしてそれを見ながら自慰に耽ったのです。
 片手で口を塞ぎ、片手で性器を弄り、虐めました。もともと性的なことを避けて生きてきたので、罪悪感や背徳感は相当なものでした。でも、だからこそのめり込んでしまったのかもしれません。
 私も誰かに、こんなふうに縛られてみたい……奴隷のような扱いを受けて、涙を流してみたい……。
 人知れずそんなことばかり考えながら、私は大学まで進学しました。そして緊縛に憧れを抱き続けながら、性的には何の現実の体験も経ないまま、成人の年齢まで達してしまったのです。

この続きは、マニア倶楽部2023年7月号をご覧ください。

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[MC202309]親友の恥ずかしい折檻の場面を思い出しながらオナニーしていた私をどうか叱って罰してください

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お仕置き願望を見抜かれてしまったOLの告白

告白 入江史奈(PN)

 初めまして、史奈と申します。ごく平凡な企業に勤める独身の女です。
 マニア倶楽部が読めるのはご主人様といる時だけですが、皆様の投稿に大変あこがれており、告白の文章や写真がいつも目に焼き付いております。
 家に帰ってからお風呂の中で、ベッドの中で、時には通勤電車の中でも思い出しては悶えるような気持ちになっています。
 そんな時はシャワーを強くしてあそこにあててイッていってしまったり、電車内では人のカバンが胸に押し付けられただけでイッてしまったりします。
 本当に、妄想癖がひどいと思います。しかも、それだけでは心が空しいのです。そうやって妄想オナニーばかりしているいやらしさをご主人様に指摘され、叱責されて初めて心から満たされるのです。
 そんな自分がマゾだということも、ご主人様に見抜いていただくまで、全く気がついていませんでした。

放課後の目撃
 何をされたい、というはっきりとした嗜癖があったわけではないのです。
 強いて言うなら「叱られたい・泣かされたい・許されたい」という希望が昔からあって、それが性癖だとは気づかなかったんだと思います。
 私がそんなふうになったのは理由があります。
 小学校四年の時に父と死別して母子家庭になり、中学一年の時に母が再婚しました。
 この再婚相手の人が思いやりのある人格者で、連れ子が二人いるのですが、私が淋しい思いをしないようにいつも心を砕いてくれました。分け隔てなく、大切に育ててもらったと今も思っています。
 ただ、それでも私はふと淋しさを感じる時がありました。なぜ自分がそんなふうに感じるのかわからなかったのですが、「ああ、これか」と気づいたのは中三の時です。
 私は人よりきれいなわけでもなければ、すごく勉強ができるわけでもない、まあ目立たない地味な存在でした。
 同じクラスのミオちゃんも母子家庭で、だからというわけではないのですが、一緒に下校する仲よしでした。
 ミオちゃんは私とは違ってファッションやメイクに興味があり、高校を出たら東京に住んで読者モデルになりたいという大人っぽい子でした。
 中学は校則が厳しく、下着の色は白かベージュという決まりがあったのですが、ミオちゃんはある日、派手な下着を着けていたということで生活指導の体育教師から呼び出されました。体育の時間、黒とピンクの下着が体操着から透けて見えたと、クラスの子たちが言っているというのです。
 この体育教師は、当時女生徒の間では、セクハラがひどいと噂になっていた先生でした。だから心配で、私は廊下でミオちゃんが出てくるのを待っていました。
 ミオちゃん的には誰に見せるとかではなく、大人っぽい下着を身につけてみたかっただけでした。だから最初はミオちゃんも素直に謝っていました。
 ところが、ミオちゃんと先生の声が急に大きくなったので、心配になってドアの隙間から中をのぞきました。
 その時のやり取りはショックでした。
「人は下着で判断するものだから気をつけなさい」
「判断って……何を、どう判断するんですか?」
「ふしだらだとか……そういうことだ」
「それって関係ないと思います。誰がそんなこと判断するんですか?」
 中学生は反抗期なのでいちいち大人の言葉尻に突っかかるものです。これぐらいの応答は日常茶飯事だったと思います。
 でも、先生の言葉でミオちゃんの顔色が変わりました。
「誰だってそう思う。片親だからいやらしい格好しているんだとか、人はそういうふうに見るものなんだよ」
 ミオちゃんが傷ついたのがわかりました。押し黙ってしまって、後は先生が何を聞いても返事もしなくなりました。
「とにかく、そういう下着は学校へは着てこないこと。約束できるな?」
 学校へさえ着てこなければいいなんて、先生の言っていることは少しおかしいような気がしましたが、ここは「はい」と言えば終わりになるところだと思いました。
 ところがミオちゃんは「片親だから」で完全に腹を立ててしまったようで、窓の外に目を向けたまま聞こえないふりをしています。
 その態度に、先生は引っ込みがつかなくなってしまったのだと思います。腕組みをして、深いため息をつくと、ミオちゃんに、立って机に手を突くように言いました。
 ミオちゃんは先生の顔を見ようともしません。窓の外をにらむようにして、ドンと音を立てて机に手を突きました。自然とお尻を突き出した格好になってしまいます。
 次の瞬間、私は危うく「あっ」と声を上げそうになりました。先生がミオちゃんのスカートをめくり、黒いレースの縁取りのピンクのパンツを穿いたお尻をあらわにしたからです。

この続きは、マニア倶楽部2023年9月号をご覧ください。

[MC202309]精液掃除の道具にまで堕ちた私と同じ道を私は妹にまで歩ませてしまうのでしょうか

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妹を捧げることを誓った女子大生の告白・第二信

告白 楓(仮名)

「他の男性」への奉仕
 まずは、私にお礼を言わせてください。貴誌の3月号に私の手記が掲載されたことを、私のご主人様である「おじさん」はとても喜んでくださいました。
 私と妹の美希が母子家庭で育ったこと。幼少期から変態的な妄想を抱いていたこと。そして今では妄想だけでなく、実際におじさんから奴隷として調教を受けているということ。
 これらはすべて、私にとってとても恥ずかしくできれば人にお知らせしたくないことばかりです。でも、私が自分の恥ずかしい身の上をさらすことが、おじさんの喜びになるのです。
 おじさんは、私にとってかけがえのないご主人様です。
 ご主人様の喜びは奴隷である私の喜びでもあります。
 でもそんな私でも、おじさんの命令をつらいと感じるときがないわけではありません。
 それは、おじさん以外の男性にご奉仕するように、おじさんから命令されたときです。

 私はおじさんのことを愛しています。だから、おじさんから辱めを受けたり、おじさんのお尻の穴を舐めたり、おじさんのおしっこを飲まされたりするのは少しも嫌ではありません。
 でも他の男性から辱めを受けることはとてもつらいし、罪悪感を覚えてしまいます。
 しかし、おじさんはマニアのサークルに属していて、最近はそこの男性メンバーにも、私をレンタル奴隷として貸し出すようになったのです。
 おじさんがそんなサークルに属していると知ったのは、二か月ほど前のことでした。
「今日は、おじさんのお友達が家に遊びに来るから、ちゃんとおもてなしするんだよ」
 私が事前に聞かされていたのは、それだけだったのです。
 その日の夜は、妹の美希はバイトで家を空けていました。
 たった一人でおもてなしするのは大変だけど、大好きなおじさんに恥をかかせてはいけないと思って、私は緊張しながらも張り切って待っていました。
 やってきたのは二人の男性でした。年齢はご主人様と同じ五十代くらいで、ご主人様と同じように裕福で、立派な社会的な地位がある男性のように見受けられました。
「い、いらっしゃいませ」
 お二人の雰囲気に圧倒されつつ、私はお出迎えしました。
 男性の一人が、私の顔を覗き込むように顔を近づけます。
そしてこう言ったのです。
「ほう……これがお宅の奴隷さんですか……そうですか」
 私は声を失いました。
 私がおじさんからマゾ奴隷として調教を受けているのは、おじさんと私だけの秘密だと思っていたからです。
 この人たちは、私が奴隷だということを、男性から辱めを受けて感じる変態だということを知っている……。
 そう考えただけで、めまいがするようでした。
「じゃあ、とりあえず服を脱いでもらおうか?」
 当たり前のように、男性の一人が私に言いました。
 私はどうすればよいのかわからなくなって、おじさんの方を振り向きました。助けを求めるような気持ちでした。
 しかし、おじさんは無情にも私にこう仰ったのです。
「何をしているんだ。言われたとおりにしなさい」
 私は絶望的な気持ちになりながらも、着ていたブラウスのボタンに指をかけました。そうするしかなかったのです。
 服を脱いで、下着姿になった私の肌に、二人のお客様の視線が突き刺さるようでした。脚を震わせ立ちすくむ私におじさんが言いました。
「何をしているんだ。ブラもパンティも全部だよ」
 愛するおじさんの前で、おじさん以外の男性に裸を見せることに、罪に意識を感じました。
 しかし、そうしろと命令しているのは、他ならぬおじさん自身なのです。
 私が身につけているものをすべて脱ぎ捨てて生まれたままの姿になると、おじさんは私に前にやってきて、いつもそうしているように、私に革製の首輪を嵌めてくださいました。
「さあ、お客様にお酒を用意して差し上げろ」

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[MC202309]私のペニバンにアナル処女を捧げさせ、愛を誓わせました。私たちの主従愛の証人になって頂けたら幸いです。

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女性部下を奴隷にしたサディスト女性の告白

告白 紗耶香(PN)

芽生え
 自分はもう誰からも理解されずに静かに生きていこうと思っていました。三十歳を過ぎてとりあえず結婚もしてひとりの会社員として、主婦として生活しています。そんな私ですが幼い時よりSM的なものに対して興味がありました。美少女のキャラクターが戦士として活躍するアニメを見て、その可憐な少女たちが敵によって苦しめられる姿を見て幼少のころから興奮していました。霧のような怪物が少女たちに絡みつく映像を見て、まだオナニーという言葉も知らない頃にその行為に耽りました。その時は自分がその少女たちのようになりたいのか、逆にそのようなことを誰かにしたいのかもよくわかっていませんでした。
 中学生のころ、同級生のAさんが「面白いものがある」というので彼女の家に遊びに行きました。そこにあったのは彼女が父親の部屋から見つけてきたという、所謂エロ本です。
 そこには縄や器具に拘束されて肌を露出している女性の写真がありました。あのアニメを見ていた時と同じ感覚が自分のなかに湧き上がってきました。その日はドキドキして自分がどうやって家に帰ったのかも覚えていません。あのSMの本のことを思い出してはオナニーをしてしまう十代の頃の自分でした。その頃ぐらいから家のパソコンでこっそりSMに関することを調べることが日課になりました。「SM」「緊縛」「凌辱」などの言葉を検索してそこから出てくる画像やサイトをずっと見ていました。そのあとも何回かAさんの家に行って「お父さんの本」をこっそり一緒に見ることはありました。いまになって思えば彼女の父親はかなりのサディストだったのでは、と想像できます。悔しいのは私は何度も彼女に対して「この写真みたいなことやってみようか? わたしAさんの恥ずかしい姿を見てみたい」と提案することができなかったことです。頭のなかでは何度もそのことを考えていたのです。彼女のお尻をお尻を叩いてみたい、服を破いてみたい、そんなことを夢想していましたが伝えることはできずに、ただその本を見ながら「すごいね」と凡庸なことしか言えませんでした。

満たされぬ欲望
 それから人並みに恋愛をして二十代でいまの夫と結婚しました。男性と性行為をしていくうちにわかったのは、私は女性を苦しめたり恥ずかしい格好をさせたいという欲望があるのだということでした。夫のことは愛しています。性欲だって感じます。それでもあの、普通の性行為とは違う、女の子が虐められたりしているときに感じる甘美な思いは、男性との時はまったく自分の中に湧き上がってこないのです。
 結婚してすぐの時だったと思います。夫に自分の性的嗜好の話をして数回、SMプレイのようなことをしたのですが、何ともピントが合わないというか、どうしても盛り上がらないのです。私が責めれることもしましたし、逆に夫を責めるプレイもしましたが、どちらも満足のいくものではなく、違和感が常につきまといました。
 愛する夫との盛り上がらないSMプレイを何度かやって気づきました。私は女性を責めることでしか満足できない人間なのだということを。同性愛、というのも少し違う気がしました。実際、夫との生活は通常のセックスであればそれは十分に満たされているのです。ただあの感覚……女性が責められている姿を見ているときだけに訪れる、陶酔するようなあれは得ることができないのです。さすがに夫にそこまでは話さず、私たちのSMプレイはモチベーションを失い、自然消滅したのです。
 私はこうして一生満たされない思いを秘めたまま生きていくのだと思っていました。

美果子
 私は普段、都内の会社で働いています。もう三十歳も過ぎていますので部下も数人はおります。その数人の中に美果子がいました。
 美香子は特別仕事がデキるわけでもなく、キャリア志向の同僚女性社員と比べるとやや消極的な子でした。ただ、職場ではいつも笑顔を絶やさず、愚痴や陰口を言わない性格もあり、皆のマスコットのような存在になっていました。
 喋り方が少し幼い印象で、小さな女の子がそのまま大人になったような無垢さが、私の邪でサディスティックな部分を刺激しました。
 見た目が少し地味目なので同僚の女子社員から嫉妬されるようなこともなく、何事にも受け身の姿勢で、見た目はまったく似ていないのですが、どこかあのAさんに似た匂いを感じさせました。
 仕事でミスを犯したときなど、軽いお説教で落ち込んでしまうくらいの頼りなさ、職場でも自分から話しかけるよりも、周囲から何かを言われたり、突っつかれたりしながら、照れ臭そうに笑っている姿まで、私の邪な感情を揺さぶりました。
 本人もスタイルを気にしているようで、常に身体のラインが隠れるゆったりとした服を着ていましたが、そんなところにも彼女の羞じらいを感じました。
 きっと自分の体型に自信が持てないのだろうと思うと、そこにさえ甘美なものを感じてしまうのです。
 上司の私を信頼してくれ、まるで先生に助けを求める生徒のように、何かあるにつけ私に相談してくれます。慕われていることはわかっていました。
 だからこそ、逆にそんな美果子を汚してみたいという欲望がこみ上げてくるのです。
 いつの間にか美果子の丸いお尻、それなりに存在感のあるバスト、透明感のある肌を見ては、私は淫らな妄想をするようになりました。美果子は真面目で聞き分けのいい部下でした。そんな彼女を単なる上司と部下という関係でなく、性的に支配できないだろうかと考えるようになりました。
 彼女の幼い顔と向き合って仕事の話をしているだけで、淫らな妄想がこみ上げます。
仕事のミスを指摘し、厳しく責め、罰として私の前で服を脱いで全裸になるよう命令する。
 きっと美果子は慕っていた上司のセクハラに悲しみで涙を浮かべながら、逆らえず服を脱いでいくはず。

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[MC202309]あの日、真理子とウンチをおもらしして以来私はずっと一人でお尻を汚しているのです

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おもらしパートナーを求める女子大生の告白

告白 美沙(PN)

初めてのおもらし
 21才の学生です。
 小さい頃から、おもらしに興味を持っていました。
 私が初めておもらしをしたのは中学2年の夏です。
 家族が出かけた休日、私はおもらしの誘惑に負けてしまい、下着を付けたままトイレに座りました。そして小さな葛藤の末に、アソコの緊張を解いたのです。
 理性なのか我慢しすぎたのか、おもらしの瞬間尿道がキリキリと痛んだのを覚えています。
 オシッコはチョチョロと下着を濡らし、少しずつ勢いを増していきました。
 やがて、お尻に温かさが広がると、私は我慢できなくなり、濡れた下着の中に手を這わせました。
 オシッコの出口、硬くなった突起を強く擦ると、うねりのような快感が下腹部に広がります。
ヌルヌルに濡れたアソコ、冷たくお尻に貼り付く下着、臭い立つオシッコ、そのどれもが私の興奮を掻き立てました。
 その日から、私のおもらし遊びは少しずつエスカレートしていきます。
 最初は、下着のままトイレでおもらししていましたが、学校の体操着やジャージ、パジャマやデニムなど色々な衣類をおもらしで汚すようになりました。
 おもらしの場所も、トイレからお風呂場、そして2階のベランダへと変わっていきます。
 特に、ベランダでのおもらしは、切ない背徳感を覚えました。
私の家は駅前だったので、ベランダの下は人通りが多かったのです。
 部活帰りの中高生、仕事帰りの会社員やOLなど、色々な人たちが通り過ぎる中、私はジャージやデニムを濡らしていました。
 もらしの最中、友だち数人が通りかかったことがあります。
「美沙! 何してるの?」

 私を見つけた一人が声を掛けてきました。
「あの……」
 ドキドキして、すぐに返事ができません。オシッコは止まってくれないのです。熱い水流が、お尻から後ろ太腿に染みていきました。
「お、お花にお水あげてるの」
 しどろもどろになりながら答えましたが、その間もデニムの裾からオシッコが滴り落ちていました。
 あの時、他にどんな会話をしたのか覚えていませんが、スリルと興奮で膝がガクガクしていたことだけは覚えています。
 みんなに見られながらおもらししている自分、誰かに抱きしめられながら下半身をビショビショにしている自分……。色々な妄想を抱きながら、私はおもらしに興じていました。

ウンチおもらし動画を見て
 高校時代も、私の性癖は変わりませんでした。いいえ、むしろ強くなっていたかもしれません。
 ちょうどその頃、ネットで衝撃的な動画を見つけたのです。
 色々な女の子たちが、普段着で次々とオシッコやウンチをおもらしする内容でした。出てくる女の子たちも、すごく魅力的に見えます。
 一番衝撃だった動画は、女の子二人が一緒にウンチをおもらしするシーンでした。(その動画は告知広告のようなもので、最後まで見れないのがとても残念でした)
 動画では、下着とストッキングに包まれた二人のお尻が、恥ずかしい音とともにモコモコと膨らんでいく様子が映っています。そして、女の子たちはお互いのお尻を触り合い、切なそうな表情でキスをするのです。
 私には、それがとても甘美な行為に思えました。イチジク浣腸の存在を知ったのもその動画からです。
 動画を見てから、私の心の中はウンチおもらしでいっぱいでした。あの動画の女の子たちのように、切ない喘ぎ声を押し殺しながら、下着の中に大量のウンチをおもらししたい。誰かにキスされながら、デニムのお尻を膨らませたい……。そんなことを、毎晩のよう妄想していました。
 ただ、自宅でウンチをおもらしすることはありませんでした。オシッコと違って、ウンチは後始末が大変です。
 母から「ベランダがオシッコ臭い気がする」と言われたのも、ウンチおもらしを躊躇う理由の一つでした。
 私はこの性癖を、誰にも知られたくないと思っていました。だから、オシッコのおもらしでも、後始末には細心の注意を払っていました。
 ところが、思わぬところで秘密がバレてしまうのです。

この続きは、マニア倶楽部2023年9月号をご覧ください。

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[MC202311]息子に求められるまま性奴隷となりました。私は母親失格の淫乱女なのでしょうか?

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息子の家畜マゾになった母の懺悔

告白 陽子(仮名)


愛息に起こった異変
一人息子である拓海のことはずっと愛していました。でも、それはあくまで母親としての愛情のつもりです。
それがまさか、血の繋がった母子でありながら、一線を越えて男女の関係になってしまうなんて……。
しかも、ただの男女の関係ではありません。私は息子の奴隷になってしまったのです。
明らかに、拓海と私との間には主従関係があるのです。私は母でありながら、息子の奴隷として生きているのです……。
まともな母子の関係が狂い始めたのは七年ほど前、夫と私が別居を始めた頃のことでした。
別居の理由は夫の浮気が発覚したことです。

会社の若い女性と不倫関係になった夫と離婚の調停を始めると同時に、夫には我が家を出て行ってもらったのです。
別居が始まってすぐに、息子の拓海が、リビングなどで自慰行為しているところを見つけることが増えてきました。
私が初めて拓海の自慰行為を見たのは、買い物から帰ってきたときのことでした。
心臓が止まりそうでした。私は悲鳴を上げそうになりましたが何とかこらえて、どうしたらいいのかわからなくなってその場を逃げ出しました。
そして、スマホで拓海に「もうすぐ家に帰るから」と電話をかけてから、ようやく帰ったのです。それ以来、私は出先から家に戻るときは必ず拓海に電話を入れるようになりました。
でもその後もリビングのゴミ箱に、精液のついたティッシュが大量に捨てられるなどの出来事が続くようになりました。
そんなことがあるたびに私は胸がざわざわしました。
それまでの拓海はごく普通の男の子で、どちらかというと異性にもてるタイプでした。
小学校の頃は女の子が家までバレンタインのチョコを届けに来たこともありましたし、中学時代には彼女を家に連れてきたことだってありました。
それなのに、こんなふうにまるで見せつけるかのように自慰行為をくり返すのが、不思議だったし、怖かったのです。

精液の味に溺れて
拓海の異変は、それだけにはとどまりませんでした。
ある日、汚れた衣類を洗濯機に入れているとき、べっとりと何かが手につきました。
見ると、拓海のパンツに精液が大量に付着していたのです。
驚きましたが、汚いと思う感情はありませんでした。愛する息子の体から出たものですから嫌悪感はありませんでした。この程度のことは、年ごろの息子がいれば当たり前のことだと、自分に言い聞かせました。
しかし、もっと決定的なことが起こりました。
拓海が家を留守にしている間に拓海の部屋を掃除していたとき、私のなくなった下着を見つけたのです。そしてその私のパンティも、やはり精液でべとべとになっていたのです。
このときには、さすがに心臓がバクバクと速くなりました。
拓海は、私に欲情しているのだろうか。それとも、ただ単に手に入りやすい女性の下着が私のものだったからというだけのことなのだろうか……。
混乱した頭と体が熱くなりました。一種の錯乱状態だったと思います。気づくと私は自分の下着に付着した拓海の精液を舌で、味わっていたのです。
精液の青臭ささが口内に広がりました。そして薄い塩気と微かな苦みとともに強烈な後悔と自己嫌悪が襲ってきました。
血の繋がった我が子の精液を舐めるなんて、異常なことだと思います。でも私はそうせずにはいられなかったのです。
そんなことがあってしばらくして、夕食後にリビングでテレビを見ていたとき、拓海が不意にこんな質問をしてきました。
「お母さんってオナニーとかしているの?」
あまりに突然のことで、私は何も言えませんでした。拓海はさらに追い打ちをかけます。
「だってお父さんがいないのに性欲はどう処理してるの? 恋人とか、いるの?」
「そんなの、いないわよ」
私はそう言って適当に誤魔化すのが精一杯でした。
こんなこともありました。
ある夏の日、家のリビングで二人でテレビの映画を見ているときに、拓海から膝枕をお願いされたのです。
言われた通り膝枕をしてあげました。そしてしばらくすると私は自分の息子の肉体に起きた異変に気付いたのです。
映画を見ている拓海のペニスの勃起が、穿いている短パンの上からはっきりとわかったのです。私は動揺して映画どころではありませんでしたが、何とか平静を装いました。
逆に拓海の方から「仕事で疲れてるでしょ?」と膝枕をしてもらったこともありました。
純粋に、拓海の優しさと思いやりがうれしかったのです。
可愛い我が子に頭や肩を撫でられながらテレビを観るのは至福の時間でした。しかし自分の後頭部に当たる息子のペニスが硬くなっていることに、私は気づいてしまったのです。
ドキドキしました。頭をよけようかとも思いました。しかしそんなことをしたら拓海も恥ずかしがるかもしれないと思って私はあえて、気づかないふりをしたのです。
こんなふうに、我が子の男としての姿を意識させられることが続いたのです。
その結果、私は夫と別居する前にも増して、自分の性欲が強くなっているのを感じるようになりました。そしてその性欲は紛れもなく、血の繋がった息子に向けられていたのです。

この続きは、マニア倶楽部2023年11月号をご覧ください。


[MC202311]ピルの服用、自慰報告、処女を捧げた先生の中出しパイパン奴隷として飼われています

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憧れの先生の性奴隷になった美人女子大生の告白

告白 愛花(仮名)


愛花と言います。近畿地方の国立大学に通う一年生です。
家は中部地方なので、親類が経営するアパートに下宿しています。母とこんなに長く離れて生活したのは、生まれて初めてです。
母はシングルマザーで、たまの旅行も親娘二人で行っていました。私だけ友達の家に泊まったことも一度もありません。
「外泊なんかしたら、母子家庭の娘だからだらしがないと人は思うんだから」
と母に禁止されていたのですが、女の友達同士の旅行もだめというのは行き過ぎだと思います。もちろん母とは大変仲が良いし、大好きなんですが。
そんな母に宛てて書いた一通の手紙があります。卒業式の翌週に書いたものです。

卒業の手紙
「お母さん、私はついに悪い娘になりました。お母さんが恐れていた、恥ずべき、悪い娘です。
卒業式の次の日曜日、ずっと待ち望んでいたことが実現しました。この日は一生忘れない、生まれてから今日までで、いちばん大切な日です。
お母さん、覚えていますか。
高一の時、同じクラスの飯田君から「付き合ってほしい」と言われた時のことです。
「男の子は付き合ったら絶対に体を求めてくる。愛花が誰よりも大切だと思う人に出会えるまで、そういうことをしてはだめだよ」
と、お母さんに止められましたよね。私、本当はあの時、飯田君と交際してみたかったんです。

飯田君を、好きだとかそういう目で見たことはありませんでした。でも、男の子と付き合うってどんな感じだろう、知りたい、という軽い気持ちはありました。
誰よりも大切だと思う人なんて、そんな人に出会えるわけないのです。私にとって一番大切な男の人はお父さんだし、お父さんはもう死んでしまいました。
死んでしまった人を誰かが超えることはあり得ないですよね。だから、私は男の人と愛し合うことはないな、一生処女のままなんだな、とあきらめました。
悲しく絶望的になり、自分の人生にこの先、楽しいことうれしいことが起きるなんて思えなくなりました。高一の最後の三者面談で「大学は受験しない」と言ったのは、そのせいです。
そんな私が変わったのは、先生と話をするようになってからです。
先生は、何でも話せて、私を見守ってくれて、厳しく叱ってくれることもあります。お父さんを超える人は先生かも知れないと気がついた時、悲しい気持ちを忘れて、前向きになれました。
希望ができると、私みたいな内気な人間も変われるんですね。先生に会えるのが楽しみで学校に行くのが楽しくなり、先生に質問したいから化学の予習をするようになりました。
予習が習慣になると、化学以外の科目の成績も少しずつ上がってきました。お母さんは知らないけれど、全て先生のおかげ、先生を好きになったおかげだったんです。
先生と愛し合いたいなんて身の程知らずなことは思わないけれど、先生に「好きです」と伝えて受け入れてもらいたい――。そう思うだけでいろんな意欲が湧いてきて、先生に認められたい一心で大学受験を決めました。
あの日曜日、卒業記念にみんなで遊園地に行くと言ったのは嘘です。あの日、生まれて初めてラブホテルに行って、先生と結ばれました。生まれてから一番幸せな一日でした。
お母さん、私はついに悪い娘になりました。お母さんが恐れていた、恥ずべき、悪い娘です。
先生を好きになってから、二年以上も経っているのです。卒業までずっと我慢してきました。
「高校生の間はだめだ。きちんと勉強して、志望校に合格しなければだめだ」
と、先生から厳しく言い渡されて、受験を頑張ったのです。努力のご褒美として、あの日、先生の奴隷にしてもらいました。
私はもう正しい娘ではありません。正しい娘は卒業しました。
今の私は、先生の奴隷です。

*  *  *  *

 手紙を母に渡してはいません。
四年間は下宿生活で、自由に先生に会えない日が続きます。アパートの一階には母の従兄一家が暮らしているので、先生と自由に会えるわけではありません。
大学卒業まで、先生との交際がバレないように注意しなければならないのです。
先生に会えるのは月に一度か二度、外泊したら母に連絡されてしまうので、いつも日帰りです。二時間か三時間しか会えないこともあります。
下宿に帰って一人、淋しい夜は、先生に私の稚拙な愛を受け入れてもらえた日の喜びを思い出したくなり、この手紙を取り出して読んで、会えないけれども先生の所有物になれた今の幸せを噛み締めています。

この続きは、マニア倶楽部2023年11月号をご覧ください。

[MC202311]初恋の人であり、最愛のご主人様であるお兄ちゃんにしか、私は興奮できないのです。

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兄の奴隷となった女子大生の告白

告白 映見(仮名)


〈兄の告白〉
 これは血の繋がりは無いものの、最愛の妹と禁断の交わりを持ってしまった私の懺悔と後悔と、そして幸せが入り交じった魂の告白です。
 今から20年前、僕が18歳のとき父が再婚しました。中学生の頃に母が他界してから父と僕二人の男所帯だった家に、新しい母がやってきました。若く美しい継母でした。父の会社で働いていたOLとのことでした。
 当時の僕は勉強しか取り柄のない、いわゆる非モテ男子であり、恋人どころか異性の友人さえいませんでした。
 若く魅力的な継母との同居生活に胸の鼓動が乱れたのは当然で、亡き母への裏切りともいえる父の再婚に対する青臭い反発心さえ抱けませんでした。

 継母も父と同じく再婚で、当時2歳の連れ子がいました。まだオムツをしていた2歳児ながら、継母の美貌を受け継いだ可愛らしい幼女でした。彼女は僕を気に入ってくれたらしく、幼さ故の無神経さというか、人見知りをすることなく、すぐに僕に甘えるようになりました。
 彼女のほうから「お兄ちゃん」と甘い声で遊び相手に認定したという感じです。
 継母へのときめきは父の再婚相手という現実が薄めていき、代わって慕ってくれる義妹の可愛らしさに心が蕩かされました。
 一人っ子だった僕に初めて兄妹が出来たわけで、それも16も歳の離れた可愛らしい幼女。言葉を話すペットといったら不謹慎かもしれませんが、自分から他人にアクションを起こすことが苦手なお勉強オタクだった当時の僕には、ダッコを求めてしがみついてくる義妹が、愛おしくてたまりませんでした。
 人付き合いが苦手で、他者と親密な関係を結んだ経験もなかった僕にとって、この義妹となった2歳の女児が初めて出来た親友のようでもありました。
 成長していくにつれ、継母譲りの美貌も輝きを放ち始めます。幼稚園、小学校と学齢が上がり、僕の目にも眩しく映るほどの美少女へと成長していきました。
 それが中学になると激変しました。髪を染め、一時期不登校にもなりました。僕にもよそよそしい態度を見せるようになり、部屋に引きこもるようになったのです。
 何か気の利いた言葉をかけて義妹の心的な問題を解決することが出来たらと思うも、そもそも人付き合いが苦手な元一人っ子です。向こうから無神経に抱きついてきてくれていた幼い頃とは違い、もう義妹は多感な思春期の少女に成長していました。
 30歳なった僕でも、この学齢の女の子との付き合い方などいちばん苦手な分野であり、腫れ物どころか危険物を扱うように接するのがやっとでした。
 この義妹に起きた異変の原因は、後に本人の口から聞くことになりました。
 それは男女の関係になってから知った真相の告白であり、僕が衝撃を受けた妹の女としての素顔でもありました。
 この先の事は、妹本人に記述してもらうことにします。

初恋の相手は義理の兄

〈妹の告白〉
 幼い頃の記憶はあいまいだけど、毎日兄に甘えていたのだけは覚えています。
 母が再婚したとき私はまだ2歳だったので、離婚した父の記憶もなくて、兄が再婚相手の息子で義理の関係というのも、小学校に入る頃になって母から聞かされてぼんやり、ああ、そういうことなんだ……、と理解したくらいでした。
 父(再婚した)をお父さんと呼んではいたけれど、私の中では義兄がお父さん的存在でした。なぜかといえば、いつも遊んでくれたのが義兄で、一緒にいた時間も父より義兄のほうが多かったから、たまに「お父さん」と呼び間違えたことが何回かあったくらいでした。
 お父さん的存在で、家の中でいちばん好きな人が義兄というか、いつも義兄に甘えて、遊んでもらっていました。
 子供のときの「好き」という思いが、はっきりと異性としての「好き」に変わったのが、小学2年生の頃だったと思います。
 それまでは母と父の同じ寝室で寝ていて、まだセックスといいう言葉も知らない幼稚園の頃に、母と父のする男女の行為を見てしまいました。
 ぼんやりと、ああ、大人はああいうふうにエッチなことをするんだ……、と子供なりに納得しました。
 テレビを観ていれば、普通にキスシーンがあったりするし、本能的というか、幼稚園児でも周りの子たちが普通に「○○ちゃんが好き」「○○クンと結婚する」とか言ってるから、大人になったらこうするんだなと思ったのを覚えています。
 ただ、この母と父の行為が、ちょっと不思議に思えたのです。
 幼かったから理解出来なかったけれど、母は父に奉仕行為をしていました。当時、すでに父は50代半ばを過ぎていたと思います。母はまだ20代後半だったと思います。

[MC202311]絶対に知られてはいけない秘密を曝かれ、私は弟との奴隷誓約書にサインしたのです

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実弟の精液便器となった28歳OLの手記

告白 ゆり子(仮名)


弟の性的な視線
 私は28歳のOLでゆり子と言います。文学が好きでどちらかというとおとなしく、目立たないタイプです。もし読者の皆様が街で私を見かけても記憶にすら残らないでしょう。
 でもそんな私にも皆様が驚くような秘密があります。それは誰にも内緒で実の弟の性奴隷になっているということです。
 私はこんなおとなしそうな見た目ながら、弟に性的支配され、近親相姦関係にあるのです。
 ひとつ違いの弟の孝史が私に性的な執着を持っていると気付いたのは、私と孝史が中学の二年生と一年生だった頃です。
 孝史は異性と気軽に話せるタイプではありませんでした。そのせいか性の目覚めもよくある同級生女子ではなく、実の姉である私だったそうです。孝史が中学生に上がった頃から私の入浴をこっそり覗いたり、私の下着を盗んでいることに薄々気付き始めました。
 高校生になるとその疑惑は確信に変わりました。ある日、孝史の部屋からうめき声が聞こえてきたのでそっと部屋を覗いてみると、私が洗濯籠に出したはずの下着に孝史が顔を埋め、激しく勃起したモノを一心不乱にしごいていたからです。
 私はあまりにもおぞましい孝史の姿に……そして実の弟に性欲を向けられている事実にどうしていいかわからず、誰にも相談できませんでした。

〈実の姉に性欲を覚えるなんて本当にあるのだろうか……〉
 少し心が落ち着いた頃、インターネットで調べてみました。すると私が想像していた以上に実姉や実弟と性的関係を持っている人がいることを知り、私は衝撃を受けたのです。
 高校までの私はエッチな本など読んだことがない真面目な優等生タイプでしたが、文学作品などを通じて性的な行為や変態的な世界がこの世にあることは知っていました。でも実の弟が姉の残尿やおりもので汚れた下着に興奮し、自慰行為をしているという事実はあまりにも衝撃的で、私自身の性癖に異常をきたす原因にもなったのです。

歪んでいく性癖
 弟の自慰行為を見た衝撃のせいか、私は孝史に強引に迫られ、抵抗しきれずそのまま身体を許してしまう妄想をするようになりました。弟にブラコン的な感情は一切なく、姉弟仲もとくに良くなかったのにです。
 しかもただ妄想するだけでは我慢できず、弟との性行為を妄想しながらオナニーまでするようになりました。そして愛液まみれになった下着をわざと脱衣籠に残し、それがいつの間にか無くなると「また孝史の性欲処理に使われているのね」と淫らな感情に耽ったのです。
〈私の下着の匂いに興奮している孝史の下着は、どんな匂いがするんだろう……〉
 興味本位から弟の下着の匂いを嗅いだこともあります。生臭いような、それでいて台所用漂白剤のような匂いでした。
 こうして弟を観察していると、普段ほとんど口も聞かない弟が、私がトイレやお風呂に入るとすぐ後に入っていることに気付きました。下着の匂いだけでなく私のいろいろな汚臭を嗅いで興奮しているのです。そう思うと私も性的感情が高まり、また孝史に挿入される姿を妄想してオナニーしてしまうのです。
〈このままじゃいけない……〉
 私たち姉弟がしていることはどちらも倫理的な『禁忌』だということはわかっていました。
〈とにかく孝史から離れなければ大変なことになる……〉
 私は孝史から離れたい一心で遠方の大学を受験し、進学後ひとり暮らしを始めたのです。
 孝史の性的対象から逃れられたものの、誰にも干渉されない生活が始まると、それまで倫理観や貞操観念で抑制していた性欲が暴走を始めました。
 実家にいた頃よりも妄想癖とオナニー癖が強くなり、特にTL(ティーンズラブ漫画)を読み耽るようになったのです。
 よく読んだのは姉弟ものの作品です。これは孝史と現実的にそうなりたいと思ったからではありません。TLの世界の弟は姉に一途なイケメンや王子様ばかりなので、そんな弟に迫られるのなら……と、現実とリンクして妄想しやすかったのです。
 また私の好きな話にはSの男性が多かったです。目隠しをされて全身やおまんこを舐められたり、人のいる場所や屋外でバイブ責めをされたり挿入されたり……という羞恥的な行為ほど興奮しました。通販でバイブやローターも買い揃え、S男性に責められているヒロインを自分に投影しながら、TL妄想オナニーに溺れたのです。思えば当時から自分のM性には薄々気が付いていたのだと思います。
 でも孝史の存在が私に男性への恐怖心や男性不信を植え付けたのか、現実の男性には苦手意識を持つようになりました。
 だからTLに夢中になったのもあるのですが、大学時代より現在に至るまで交際した男性は二人だけです。
 どちらも性行為までする関係にはなりましたが、あまり長続きしませんでした。
 孝史との接点が減ったことで近親相姦を妄想することはなくなりましたが、それほどまでに孝史の存在は私の性癖に暗い影を落としていたのです。
 大学卒業後はある会社に就職し、職場の近くで一人暮らしを始めました。ただし心配性な両親を安心させるため、実家には頻繁に帰るようになりました。
 孝史は高卒で就職をしたものの長続きせず、家業の不動産業(アパート経営と駐車場管理)の仕事を手伝っていました。
 両親の話では真面目に働きつつ友達と遊んだり、彼女もいるとのことなので、昔のようなことはもうないだろうと考えて帰るようにしたのです。
 とはいえ、姉弟もののTLをコレクションしていることや、バイブやローターを所有していることは、絶対に隠しておかなければいけない秘密でした。

暴かれた秘密
 実家に頻繁に帰るようになってからは平穏な日々が続いていました。最初こそ警戒心から実家には泊まらなかったのですが、半年も経つ頃には孝史への警戒心も薄れて実家に泊まるようにもなりました。
 ところがある日、風呂上がりに下着が無くなっていることに気付いたのです。私はひどく狼狽えました。あの頃の禁忌の記憶が蘇ってきたからです。
 それとなく母に聞いてみましたが、母は「知らない。あなたの勘違いじゃない?」と言います。孝史が私の下着を盗んでいた過去など知らないからです。
 それからは実家には泊まらなくなったのですが、それから数カ月後、とんでもない事件が起こってしまうのです。
 きっかけは、実家に来た荷物を私の部屋に運んでもらうため、母に合鍵を渡したことです。孝史と私の関係性を知らない母は、「僕がやろうか?」と言ってきた孝史にその用事を任せてしまい、私の部屋の合鍵を渡してしまったのです。

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